『ケータイの未来』
夏野剛
ダイヤモンド社
\1890
2006.11
もはやケータイを手にしていないということは、殆どありえない人種なのだろうか。
いや、この本があくまでも、NTTドコモ執行委員の手によって書かれていることであることを考慮に入れると、そこまで卑屈にならなくてもよいかと思う。
iモードを導入し、おサイフケータイ、それからクレジットへの企画を拓いた張本人であるからには、ケータイのメリットをいくら強調しても頁が足りないことであろう。
業界のまなざしとビジネスのグラウンドがどこへ向かっているのか、ということを知るには都合のよい本であろう。まさにタイトルの「ケータイの未来」というのは、この本の内容を的確に表している。
常々考えていたことだが、これは本来「携帯電話」だったはずである。日本語では熟語を連ねる場合、後者が主体であるという原則があるから、本来「電話」が主体であったはずだ。しかし、これが省略されて今は「ケータイ」と呼ばれるようになっている。省略呼称のいつものことかとくらいに見えたそれが、実は重大なポイントを含んでいることが分かってきたのではないか。
つまり、もはやそれは電話が主体ではないのである。あくまでも、携帯性のあるものとしか言いようのないものであり、ほとんどIDのすべてであるという認識で動いているものとなっている。いや正確に言うと、なりかけている。
著者が描くケータイの未来像も、間違いなくその方向である。
人間が、その本人の人格や人柄ではなく、手にしている小さな機器によってのみ認証される。デジタル的に人間が把握されていく。
本当に、それが未来なのだろうか。