本

『風の電話』

ホンとの本

『風の電話』
狗飼恭子
朝日文庫
\620+
2020.1.

 2020年公開映画のノベライズである。本当は映画を見たかったのだが、上映時刻がどうしても合わず、諦めたところへ、文庫が出たので買ったという事情がある。どうしてこんないい映画の上映が少ないのか。その後2月末、映画はベルリン映画祭で国際審査員特別賞を受賞した。
 高校生の少女がひとりで語る。広島の島で暮らしている。ほんのわずかな距離の呉までの船で高校に通う。乗船するときのわずかな隙間から見える海が怖い。
 ハルという名で展開するこの少女は、伯母に引き取られて二人で生活している。ある日伯母から一緒に大槌に行かないかと声をかけられ、声も出なくなる。ハルは、東日本大震災で、両親と弟を失った。いや、正確には行方不明なのだという。
 そのショックの中、帰宅したハルは、伯母が家で倒れているのを発見する。病院に担ぎ込まれた伯母は重症であった。孤独を覚えたハルは、学校に行くことができず、伯母の病院に向かおうとした時、「帰る」というキーワードが心に浮かんだとき、反対側へ進む列車に乗ってしまった。
 この後、兵庫・静岡・埼玉・茨城・福島・宮城と、いろいろ助けてくれる人々との出会いを重ねながら、ハルの旅が続く。これを逐一書いてしまうと身も蓋もない。実に様々な、そして結構変な人たちと出会うのだが、出会う人は、いずれも居場所をもたないような背景をもっていた。ハルは、何かしらの共通点を覚えるが、相手もまたそれを感じていたのかもしれない。皆親切であった。そして、どこに行くのか、世の常識に従うような判断を誰もしなかった。誰もが、ハルの帰ろうとする場所への旅に協力したり、ハルを精神的に支えたりしてくれた。そして、誰もが、「食べる」ことをハルに勧め、また提供した。生きていることは、食べることなのだ。ハルはなにも死に場所を探していたわけではなかったのだが、もしかするとそうだと言えないわけでもなかった。ハルは、失った家族に会いたい思いで大槌を目指すようになるが、自分が生きていることの意味を、なにかしら見出すようになる。この旅の中で、とくにモリオという男が、ハルを長きにわたって助ける。モリオは、福島に家のある男だといい、長く車に乗せてくれたのだ。
 モリオは原発で働く男だった。モリオの家にまでハルはついてくるが、そこは荒れていた。ハルはそこで、自分の家族に会った幻を見るが、モリオもまた、家族をそこで失ったことを知る。
 モリオは大槌までハルを連れてきてくれた。そして、かつて家があったところにまでハルを送る。ハルはそこを自分の「帰る場所」だったのだと考えるが、モリオはそれは死ぬことではない、と教える。そしてハルの帰る場所は、絶対にある、ほかにある、と力強く言う。それから、憎い海に会いに行く。海は怖いけれども、ハルはそれを好きだと宣言する。
 モリオはハルに広島に帰る費用を受け、返すと答える。返すということは、これからも生きるということである。モリオと分かれ、ハルは広島に向けて戻ろうとしていると、駅で不安げな中学生の男の子を見かける。浪板海岸行きはこちらかと尋ねられるが、ハルは気になって男の子にどうしてそこへ行くのかを訊く。そこで初めて、風の電話の話を聞く。
 風の電話は、死者と話ができるという電話ボックスだった。これは震災の後にも報道され、また可愛い絵の絵本にもなっている。私はそのことは知っていた。それをタイトルに掲げた映画は、最後になってようやく、その風の電話の登場となった。
 クライマックスなので、その場面の描写は省略する。ハルは、自分だけ生き残ったことを、もうひとりぼっちだとは考えなくなった。自分を受け容れ、忘れたい記憶も含めて自分自身なのだと考えるようになる。そして、帰るべき場所を覚るのだった。
 きっと映画は、このストーリーを、ぐいぐいと描いていたのだろう。少女の孤独感と、助ける人々の温もり、しかしその背後に皆がもつ寂しさや場所の喪失感などを、きっと見事に描いたいたのだろう。それが見られなかったのは惜しいが、そしてこれから観る機会があったとしても、小説を読んでしまってから観るのでは、最初に映画を観たときとはまた意味合いが違ってくるだろうと思うので、これが読めたのはそれはそれでよかったのだろうと考えることにしている。
 自分の帰る場所。信仰をもつ者はそれを確かにもっている。理不尽なこの世をいま旅するクリスチャンは、少女のように、不安げに、だがこうせざるをえないというように、多くの人々に助けられながら、連れて行かれているようなものなのかもしれない。けれども、自分の帰る場所はどこか。そして生きるというのはどういうことか、それを思うとき、イエスが用意してくれたという居場所へと目を移すことができる。国籍のある天に憧れながら、たとえ道に迷ったとしても、もう大丈夫だという確信を懐きながら、知っているその場所のことを信じて、進むことができるのだ。




Takapan
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