『変わっていくこの国で』
石浜みかる
日本キリスト教団出版局
\1700+
2007.7.
歴史上の祈りが集められた本の中で、本書の存在を知った。
ここに集められたのは、サブタイトルにあるように、「戦争期を生きたキリスト者たち」である。従って、時代的には共通であるのだが、立場はいろいろあり、信仰の姿勢も必ずしも画一的ではない。これらの人々についての記述は、2006年4月から2007年3月まで、月刊誌『信徒の友』に12回にわたり連載されていたものである。
終戦時に4歳であった著者は、実体験としては少し違うものをもつかもしれないが、同じ時代の空気を吸っていたことは確かである。そこで感じていたことが、本書の大きな動機となっている。その「はじめに」で記されていたことを、少しだけご紹介しよう。
いま日本は、「集団的自衛権を取り込める憲法に変更しようという言説が飛び交う国になりました」という危機感をまず挙げる。それは、戦後、戦争について「自らの体験の核心の部分を語り継ぐことに怠惰であった」ことにも関係するという。「自らの加害性や国家権力への屈服」を語りたがらないのである。
しかし「人間のつくる世界には、永遠に続く平和はない」とし、「「ここに暗い穴だあるよ」と語り継ぐことがなければ、後につづく人間は同じ穴にはまるやすいもの」だという。けれども、「軍国主義国家としての日本にだけ目が行きがち」であるが、「復古的近代国家、超国家主義の国家」でもあったのだという。そして、その超国家主義はどう現れたのか、が見えるのは、「戦争期を生きた宗教者の体験」であるというところで、本書が成立したことを告げる。
人々の具体的な体験談については、直接お読みになることをお薦めする。私は、一日に一人分、十数頁を読んでゆくことにした。読み急ぎすぎずに、一日はその人のことだけを考えるようにしておいたのである。
そして「あとがき」が幾らか長いので、またそこから少しばかり辿ってゆくことにしよう。
「日本社会は明らかに変貌している」と、まずそれは始まる。時は、1985年、中曽根康弘内閣が、スパイ防止のために、「国会に国家機密法案、国家秘密法案をたて続けに上程するという出来事」があった。国民の「知る権利」を制限し、憲法「改定」に進み、「戦争の放棄」に手をつける、その段取りが見えた出来事であったのだという。これは本書を読んだ2026年の様子を適切に予言したものになっているように思えてならない。
しかし「キリスト者は必ず、国家命令による戦争協力の前に立たされる」のだ。このとき、「状況に合わせて聖書の読み替えをするキリスト者が出てくる」ことを懸念し、「キリスト者がキリスト者を排除していくことも起きる」のではないかと言っている。これも2026年現在、私もひしひしと感じている。
こうした「法律は立法府で自然にできるのではなく、議員グループが画策し、提出し、党の面子にかけて通すもの」である。こうして政治には、「過去の戦争から何も学ぼうとしない姿が現れて」いるのだというが、これも2026年のためにいくらでも強調しなければならない点であろう。「「愛国心」を育てるという名目で、国家至上主義の思想は肩で風を切って、学校にも、公共施設にも入ってくる」だろうと言っていることも、実に恐ろしく響いてくる。
キリスト者については、昭和の初期まで「まだ筋を通す元気がありました」と言い、世の人々、とくに「"ふつうの人々"も一体となって、「日本精神」「日本精神」と煽り、煽られながら、集団的過熱状況のなかで「長いものに蒔かれて」いきました」と指摘する。「キリスト教では、「衣を売りて剣を買え」「神の武具を身につけよ」などの聖書の言葉を戦争協力の言葉へと読み替えていきました」ということが、本当に過去だけのことであるのかどうか、私は不安である。そうなると、「もはやだれも逆らう気持ちさえ起こさない」ようになる。
そしてついに、「殺される側に立つ者の立場を想像する力が失われていく」時代精神を見抜き、「いまだからこそ「なんじ殺すなかれ」という言葉の重さを感じてほしいと思っています」と声を絞り出す。最後になってだが、時代を背負ってゆく人たちや、「これから生まれてくる人たちに、私は自分の立っているこの一からこのように語るしか、お贈りするものがありません。でも、愛をこめて、いのちと平和こそ大切なのですよとのメッセージとともに、この記録を送り出します」と結んでいる。「2007年、新憲法施行から60年目の夏に」と添えながら。
さあ、私たちはこの贈り物を、受け取ろうとしているだろうか。さらに次の人たちに、贈ろうとしているだろうか。辛酸を舐めたこれら12人とその周囲の人々、また本書の背後に生きた数多の人々の事実が、ただの抽象になることを防ぎ、生きた人の血と叫びとを形づくっている。

た
か
ぱ
ん
ワ
イ
ド