本

『今どきの日本語 変わることば・変わらないことば』

ホンとの本

『今どきの日本語 変わることば・変わらないことば』
遠藤織枝編
ひつじ書房
\1600+
2018.6.

 あまり期待をもたずに手にしたが、実に面白かった。
 女性の編者が、女性スタッフを集め、まず様々な世代の会話をデータとして集める。一定の意図の元に、そこから言葉の使われ方を検索し、どのように「生きた会話の言葉」が使われているのかをあぶり出すというものである。
 その意味では、確かに膨大なデータではあるかもしれないが、一定の限られた範囲での収集であるから、これだけの巨大なデータが飛び交う世界の中では、わずかなサンプルであるかもしれない。しかしここは、書き言葉ではなく、話し言葉である。まずは世代や性差を考慮して集めたものであれば、確かに論ずるに値するものとなるであろう。
 興味深いところから読者を引きこむ。まずは「やばい」。これは必ずしも新しい言葉ではないということで、それは知られているかもしれない。そして近年、良い意味で「やばい」を使うという新種の用法が蔓延しているわけだが、そうでなく、悪い意味の「やばい」も消えたわけではない。ではいつからそれが現れたのだろうか。本書の手法は、厳しく専門的であるわけではない。とりあえず一つか二つの国語辞典を頼りに、その版の違いにより見出し語に現れるかどうかという点でその判断をする。学問的には、簡略化した方法であるとしか言えないが、ひとつの目安にはなるだろう。
 次章では「メッチャ」や「すごい」、「チョー」などを取り上げ、もはや「チョー」は過去のものではないかとの印象が、データを集めるとそうでもないことが分かるなどの声も加え、これらのレベル差を推定して示す。もちろん「メッチャ」がどこから来たのかという節も取り上げるが、これも学問的に細かく議論するのではなく、ある程度印象の話になっている。読み物としての本だから、それでよいのではないかと私は思う。
 すごいきれい、という言い方のどこが問題なのか、と思う人も今はいるだろう。私はもちろん抵抗がある。文法的に説明がしづらい。すごくきれい、で落ち着く。「がばいばあちゃん」が実は方言としてはおかしいという話もかつてあった。「がばい」は形容詞ではなくて、副詞なのだという。しかし、すごいきれい、が通用するとなると、その理屈で「がばいばあちゃん」は成り立つことにもなるだろう。
 話し言葉は、世代差があるように私たちはイメージしていると思うが、このデータを集めてみたところ、予想したよりは少なかったという。確かに年配の方にはそれなりの言い方や言葉遣いがないわけではないが、それほど大きなものとはなっていないというのだ。メディアの発達の中で、大差がなくなったのかもしれないし、逆に、お笑いなどでステレオタイプに年寄りの言い方を強調することで、恰も皆がそうであるかのような思い込みが広まっている可能性も高いという。この、お笑いについての考察も本書の面白い部分のひとつだ。
 目立つのは、自分の主張を曖昧にぼかす言い方の繁栄だ。「とか」「っていうか」「みたいな」が蔓延する世の中、きっぱりと意見を言うことには角が立つと思うことによるものらしいが、若い世代にこれが顕著であるというのが、これからの社会の流れに対して何か考えていく手がかりを与えるものとなるかもしれない。
 ここから最後に向けて、「コミュニケーション」という観点から、使われる言葉を分析する。相手の顔色を見ながら、多くの配慮をしつつ、ものを頼んだり、説明したりしているのであるという。これは日本人の文化にとっては当然と言えば当然のことだろう。しかし、話し言葉が一瞬のうちに、その言葉の与える心象まで考えてなされているというのは、高度な心理学をも呼ぶだろうし、そこからどういうコミュニケーションを考えているのかという背景も明らかになる。
 京都の例がある。もちろん、ぶぶ漬けの話は広く伝わっているし、私も、ええべべ着てはりますなぁの背後にあるものをよく例として話す。ほめられて喜んでいると、完全に田舎者扱いされるわけである。中身は何も褒めていないのであるから。本書の中にあった例では、ジェフ・バーグランドさんのネタなのだそうだが、「坊ちゃん、ピアノ上手にならはったなあ」と近所のおばあさんから言われたらどう応じるか、という問題だ。これを褒められたと勘違いして反応すると、京都では暮らせない。「やっぱり聞こえていたんでしょう。ご迷惑をおかけしまして」と返すしかないのだ。この後、おばあさんがどう反応するのか、はまた個性の問題となるだろうが、口先では文句は決して言わずに、「暑おすなあ」などと言うだけのつきあいが日常であるだろうと言うのである。これは、京都でしばらく暮らした私には、よく分かる。それでも私は、田舎もんのアホやということを思われたことが、ずいぶんとあったことだろうとは思うが、福岡のような純朴な会話を遠慮会釈無しにぶつける文化の地では、ちょっとは察してよ、と思いたくなることも、ないわけではない。
 本書は、「シリーズ 日本語を知る・楽しむ」のシリーズなのだという。また、英語など言語についての啓発書も多く刊行している。ほどよい知的好奇心を満たす本を出してくれている「ひつじ書房」、その名前も気になるし、ちょっと関心をもったものである。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります