『変わる縄文』
今井しょうこ
KADOKAWA
\1400+
2024.11.
表紙に、火焔型土器を扱っている人のイラスト。これが本書の全編を占めるタッチである。縄文時代についての学びができるコミックスである。「遺跡発掘作業員のわたしが追いかけた一万年」というサブタイトルが、表紙の上方にある。表紙の人物は、その作業員であるはずである。
著者は、日大の芸術学部の文芸学科を出て、学芸員の資格を取得している。遺跡発掘調査事務所で働いている。実際にはその仕事に就くまでに、何らかのドラマがあったように思われるが、本書はこの人物像を表に出してくるようなことはない。その作業風景を描き、縄文時代に対するアプローチが描かれている。本書一冊を通して、読者は縄文時代についてかなりリアルな知識を得ることができるに違いない。
始まりは「縄文時代は長い」の一言から始まる。一万五千年の昔から、この解説は始まる。著者は「遺跡発掘調査報告書」をつくるのがメインの仕事であるらしいが、もちろん現場で発掘もするし、出土した土器を組み立てる作業も行う。その様子と、同じ調査員たちとの会話の中で、縄文時代について知識を深めてゆく、というのが、ストーリーと言えばストーリーとなるだろうか。
1頁のコマ数は四つ前後。大きな枠をとり、説明も加えられている。だがコマの中の言葉は、しつこく細かく宣べようとはしていない。時折、簡単なイラストと小さな文字での普通の本のような解説があり、まとまった知識はそこで多く得ることができるようになっている。「縄文時代」全般についても説明があるが、話の展開の中で補足するような形で、マンガの番外編のように挟まれる場合もある。ちょっと小休止という感覚も伝わってきて、読者は箸休めを楽しむことができるような気もする。
それにしても、ただ取材して得た知識と異なり、現場で働く本人が描くマンガであるため、難しい専門的な内容も隠れているはずだ。が、それを難しく説明しようとはしない。さりげなく、現場でなければ知り得ないような体験とも言えるようなことから、縄文時代について、文献学者さんからは零れてこないような知識が提供されるのが、本書の最大の魅力であるかもしれない。
たとえば、発掘現場から植物が見出されたり、土器の土に虫の痕跡が見出されたりすることにより、当時の自然環境や生活が推測できるのだという。ゴキブリがいたことも分かったという。さらに、家屋害虫がよくあることから、土器の作成は屋内で行われていたことが分かるともいう。また、室内では暗いのではないか、という疑問からも、どうやら天窓が住居にあったのだ、ということも分かってくる。
その土器の作り方についても、具体的にどのような土をどのように混ぜ、どのように形作り縄目をつけ、そして焼くのかということについて、イラストで描いてくれる。このような細かな、具体的な動作を分かりやすく教えてくれる本は、滅多にないのではないか。素朴な雰囲気の画が、その役割を適切に担っているのだと思う。
衣食住それぞれについても、だんだん見えてくる。もちろん推測でしかないが、その考えには発掘された史料がある。近年は、年代測定についても科学的に信憑性が増してきたため、いっそう歴史の想定にも、確実性が出てきたのだという。
最後のほうには、「信仰」について、また「埋葬」のことにも触れられており、多くのことが研究されているのだ、と伝わってくる。しかし、歴史がただ客観的なモノの織りなすものだという見解は、少なくとも本書には取られてはいない。そこにいたのは、同じ人間なのだ。文字はなかったかもしれないが、言葉によりつながり、愛する家族や仲間がいた人々である。その時代、比較的平和な時代であったのではないか、とも推測されているらしい。人々は協力しないでは生きていられなかったのであり、領土や資源を巡って戦争をするような背景が、基本的になかったであろう、というのである。この辺り、本当は戦争への批判にもなりそうな考え方だが、著者はそこを強調しようとしていたのではないだろう。
土器を作っていたのも、現代人から見れば、暇だから、時間があったから、というように捉えるかもしれないが、著者と恐らくその仲間たちの見解は異なる。生きるために精一杯であった。食べ物を得るために懸命だった。自然環境は災害をももたらした。自然の動物との闘いもあったかもしれない。病気に対する対応もできないようなことが多かっただろう。いまとは比較しづらいほどに平均寿命も短かったであろう当時の人にとり、ゆったりと取り組んだそれらの仕事は、手間暇を掛けているのは事実だが、そこに「祈り」があったはずだ、と告げる。この「祈り」については、比較的早くから触れられているが、「信仰」や「埋葬」に至ると、正にその「祈り」があったはずであることを、はっきりと示すことができるようになっている。
同じ「命」を生きたのだ。人は「祈り」なくしては生きていなかった。生活ができなかった。もしかすると、現代人が「祈り」を忘れているからこそ、「命」が空しくなっているのではないか。長い時間を生きることができるようになったにも関わらず、そこに「命」が薄れているのではないか。著者は決してそのようなつもりで言っているのではない。最後には、火おこしを体験する中で、「命が与えられますように」と確かに祈っていたことを思いつつ、都市と自然とをオーバーラップさせながら、「完」を打つのであった。
なお、章末に、日本全国の博物館マップと題して、博物館の紹介と、そこにあるよく知られた史料がイラストで挙げられて紹介されている頁が用意されている。福岡にはそれがなく、近畿地方にもない。中部から関東に多いし、東北も縄文文化を豊かに伝える遺跡がある。参考文献も、十分たくさん挙げられており、関心をもった人が繙くのに恰好かと思われる。
「おわりに」に、本書の完成が、著者にとっての「縄文スピリットの追体験」であったと感慨深く語っているが、そのわずかな体験でも、読者の一人として味わわせて戴いた。かつて学校で習った「縄文時代」の認識は、近年確実に変わっていることを、読者は誰もが知ることになるに違いない。爽やかな本書は、ぜひ子どもたちの目に触れてほしい。歴史を大切に思い、平和を求める人を育むことになるだろうから。但し、ちょっとオトナの話も180頁前後にあったから、中学生以上の方がよいかしら。

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