『勝手にふるえてろ』
綿矢りさ
文藝春秋
\1143+
2010.8.
女子の本音の心中がズバズバと刃のように尖っていて、危険だ。そうか、本音としてはこんなふうにも思っているんだ。男子の勝手な理想を破壊するような綿矢節が、炸裂する。 綿矢りさを初めから読んでいる。高校在学中のデビューから9年、大学時代以来のスランプから脱出した作品だと言えよう。作者らしい、軽快なズバズバと突き進む若い女性の勢いが終始感じられる。
主人公は会社員ヨシカ。「とどきますか、とどきません」という一文から始まるが、謎の呼びかけは本作を象徴する言葉となっており、読者の心を不思議な仕方で掴むものとなっている。こうした仕掛けは作者の得意とするところである。
3頁目に、「でも私はイチがよかった。ニなんていらない、イチが欲しかった」というところで、舞台設定が完了する。やがて、「私には彼氏が二人いて……」と、具体的にその二人に対する自分の感情が明らかにされてゆく。
20代半ば、これまで恋愛というものの経験がないという女子社員。年代からして作者と同じであり、等身大の女性の心情を描いているものと思われる。
終始イチと呼ぶのは、中学時代に憧れだった一宮くん。どんなに強い恋心を抱いていたか、思い出話を聞かされた中で、結局その後10年間、頭の中でその幻を追いかけるだけの恋愛生活だったことが次第に分かってくる。
そこへ、二と呼ばれるナンバーツーが現れる。同期入社の霧島くんである。タイプはイチとはまるで違うのだが、一方的に交際を申し込まれる。その事実はうれしいと言えばうれしいのであったが、二を好きだという感情はついぞ生まれてこない。それに、言動がいちいいちウザいとしか感じられないのではあるが、ずるずると共に行動する日々は続いてゆく。
ある小さな事件をきっかけに、ヨシカは、人生いつ終わるか分からないという自覚を与えられ、なんとかイチに会いたいと計画する。けっこうヤバいやり方をしてだが、中学の同窓会を企画する。ヨシカはイチについに会えた。そもそも中学時代から、イチの顔をまともに見つめることができず、自分の中では最大の事件だった、ちょっとした会話だけが自分の恋愛の要であったような具合であるから、イチがそんな会話を憶えているはずもなかった。そして、君は誰かというような態度をイチにされて、ヨシカは落ちこむのであった。
会社には、来留美という、比較的いろいろと話せる同期の女性がいたのだが、自分が処女であることを知る来留美が信じられなくなって、ヨシカはとんでもない行動に出る。よくぞそんなことを思いつくなと呆れてしまうほどの、自暴自棄と言われても仕方のないような計画なのだが、さすがにそういうところは、ここでは秘めておくことにしよう。
男性と抱き合うというのは、「身体が震えてくるような感動」が起きるものだと空想していた。だがそれはやはり空想の中での出来事に過ぎなかった。他方、イチについては、現実にそこで再開したイチについて、実は自分の心の中で育んでいたイチこそが自分の求めていたものであることに気づく。イチへの訣別の言葉として、タイトルが回収されたように思えるが、さて、本作が映画化されたときには、また別の意味合いがあったような評判を聞く。そちらは観ていないので、原作と比べてみるのも面白いかもしれない。

た
か
ぱ
ん
ワ
イ
ド