本

『加藤常昭説教全集10 マルコによる福音書1』

ホンとの本

『加藤常昭説教全集10 マルコによる福音書1』
加藤常昭
ヨルダン社
\3398+
1992.12.

 ヨルダン社が廃業した後、教文館が改めて加藤常昭説教全集を編集している。私が手にしたのは、ヨルダン社版である。内容は違わないはずである。
 本の構成はシンプルで、ただ説教原稿が揃えられているだけ。但し「はしがき」に、最低限必要な紹介と説明がなされている。それによると、「1988年4月3日から、鎌倉雪ノ下教会の礼拝においてマルコ福音書の講解説教を試み」た、という。すべてが収められていることになっている。
 その掲載順序は、ひとつを覗いて、語られた順序で並べられているという。ただ、16:1〜8に関する説教が、その初回であったという。かの4月3日が、復活主日であったためである。この構成は、後に加藤先生の弟子の筆頭とも言える牧師が、マルコによる福音書の連続講解説教を始めたとき、同様に16章を初回にもってくる、という形で再現された。それは、実のところマルコ伝の性格を物語る、粋な構成であった。というのは、マルコ伝の復活記事には不可解な点があるとされ、古来謎だと考えられている。マルコ伝の最後の復活記事が、尻切れトンボのように見えるからである。だが、近年は次のように読むように勧められている。もう一度マルコ伝の最初に戻り、この十字架と復活の結末に至った伏線を読み解くべく、イエスとの旅を改めて始めたまえ、というメッセージがこめられているように、読むことができる、というのである。
 さらに「はしがき」には、その4月から、新共同訳聖書を採用し始めたことが記されている。従って、加藤常昭先生の説教集の中で、新共同訳聖書を用いて説き明かされているものは、本書が最初ということになる。先の牧師がマルコ伝の連続講解説教を始めたときにも、その少し前から、新しく聖書協会共同訳を教会で用い始めている。このことは偶然かもしれないが、マルコ伝が新たな時代を切り拓くことを象徴しているようにも見える。
 マルコ伝は、四福音書のうち、最も初期に書かれたであろうことが、いまや常識とされている。となると、新しい翻訳による新しい説教において、どちらもマルコ伝が選ばれたことになる。
 ひとつの説教は、原稿用紙30枚余くらいのものである。私が説教の標準と考えるのとちょうど同じくらいであるが、加藤先生は決して早口でまくしたてるタイプの話し方ではないため、これを語るには45分程度はかかったのではないかと推測される。  厚みのある説教である。しかも、時折だが、採用した新共同訳聖書の訳語についての解説が混じる。従来はかくかくと訳されていたのが、新共同訳聖書ではしかじかという訳語になった、というような感じである。
 こういうとき、語り手はどういう言い方をしがちか、というと、新しい訳がいい、という前提から話すか、逆に以前の訳がよかった、という姿勢を維持するか、どちらかであるのが普通である。後者の中には、自分が30年間使い続けてきた聖書の日本語が変えられることに抵抗する、いくらか固定観念があるか、または自分のしてきたことの否定めいたものを拒む心理によるか、といった様子が窺える場合がある。しかしまた、自分と同じ世代の研究者が訳した新しい試みについて、どうもケチをつけたくなるタイプで、自分ならこうは訳されない、というよな知的な対応をする場合もある。
 そこへいくと、加藤先生は、かなり冷静に対処し、そのどちらかに偏ることなく、原語と訳語を、聖書が何をメッセージしようとしているか、という点に絞って解説しているように見える。つまり、概ね新しい研究を評価しながらも、その新しい訳でもカバーできなかった背景や原理的な考察を、簡潔に紹介するのである。これはよい学びになる。
 それぞれの説教原稿は、タイトルには聖書箇所の章と節が掲げられている。説教題というものは重視しない。それについても意味があるわけだが、実は小さな文字で書いてある。そのことについて説教で触れることもある。また、旧約聖書も1箇所引かれているが、それはあまり重視されていない模様である。マルコ伝の聖書箇所は、説教の冒頭に少しポイントを落として置かれているから、読む方としては自分で聖書を開かずに済むので読みやすい。また、説教を結ぶ際の説教者の祈りも最後に置かれているから、声や口調は分からないにしても、臨場感はもてるように思う。
 説教集には、索引がつくり難い。それがあれば、後から、あの話はどこにあったか、と調べることができるが、それができない。私はそれを知りたくなるときがしばしば来るから、時折めくって探すことがある。そのために、私は附箋を貼る。フィルム附箋というものを教えてもらって、たくさん貼ってもかさばるようなことがなくなった。加藤先生の説教集には、ボールペンで線を引くことはしたくないと考えているから、必要最低限の箇所にフィルム附箋を貼ることにしている。見開きに1箇所くまらい、とストイックに貼っているが、それでも本書は500頁を超えるから、かなりの附箋が、髪の毛のようにふさふさ生えている。特にまた後から開きたいところには赤、意外な発見については青、というように、およその色を決めているから、それでもいくらかは探しやすいかもしれない、と期待している。考えてみれば、これが私にとっての索引のようなものである。
 本書はマルコ伝の6章末まで。マルコ伝だけでこのシリーズは3冊を数える。本書を読み終えて、また次を探して注文した。じわじわ恵みを受け続けていこうと考えている。




Takapan
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