本

『家で病気を治した時代』

ホンとの本

『家で病気を治した時代』
小泉和子編著
農文協
\2800
2008.2

 レトロな表紙絵に「昭和の家庭看護」という副題。「百の知恵双書015」のシリーズに登場した一冊である。
 惹きつけられる。この表紙の氷嚢の絵は、私の小さな頃の姿ではないか、と。氷嚢や氷枕など、今はどこにあるのだろう。医師の往診など、今の街では考えられないような気もする。だが私は来てもらっていた。一月に一度は発熱していた、病弱な子どもだったのだ。
 もういきなりその写真や図からして、懐かしい。「あったよ、これ」と言えるものもあれば、私も全く知らない時代のものも数々ある。だが、これは医療の博物館ではない。十分昔の資料に支えられ、とくに雑誌の健康記事も丁寧に探っているのは、目に見えない、当時の人々の「考え方」というものを明らかにしようとしているのではないか。
 当時の薬のリスト、文学作品の中での治療の姿、あらゆる角度から、資料を基に、昭和の時代の医療、とくにそれが家の中でどう扱われていたのか、を目の前に示そうとする。都市と農村とではまた違う。そこには、いろいろな人の声を集めて証言ともしている。田圃で蛭に血を吸われても何もしないという対処が思い出として語られている。それはどういう考え方に基づいているのか、それを恰も論文のように冷静に結論づけようとしているかのようにさえ見える。いや、読者に、考えさせているのだ。今のような、病院と医者に頼り切りの生活は、はたしてどういうふうに、当時からは見えるだろうか、と。
 救急医療が破綻しようとしている。すでに小児科や産科は、どんどん減っている。それは、採算が合わないとか、責任がとれないとか、様々な事情が関連していることは承知である。だが、何よりも、生命や治療を人任せにしかできなくなった、無数の大衆がそうさせたのではないか、というふうに、見えてくる。そう言えば、教育もそうである。自分の子を自分で教育できなくなった親、家庭、地域が、すべての責任を学校に任せきっているのではないか。もちろん、学校自体の問題も、見逃せないから、医療現場にも問題が潜んでいることも当然である。しかし、全部ビジネスにお任せしてしまう傾向が、人間が地に立っているその足にも及んだという感がある。
 お産についても章を割いている。実に詳しいレポートである。生々しい人の証言も交えて、検証は続く。産婆の法的環境なども、驚いた。日本には助産師という制度があるが、それは過去の産婆の優秀さの伝統を継いでいたのである。
 結核や伝染病との戦いも、色々な角度から解説されている。最後には、保健婦や鍼灸師を扱う。
 医療技術の進展や医薬品の発明などが、疾病を劇的に変えた歴史も踏まえながらも、自分で自分の病と闘おうとしていたあの時代にも、忘れたくない意味があるのではないか、と問う。家庭看護が理想であるかのように、ノスタルジックに見るのも、多分間違っている。昭和30年代を妙に懐かしんで理想化する雰囲気も感じられる昨今だが、必ずしもそれがよいのではない。また、この本が出す結論はこれなのだ、ということでもないらしいし、またそれでよいと思う。
 これは貴重な資料である。私たち一人一人が、ここから何を見つけ、何を感じ、これからの生き方にどう活かすことができるのか、それを、私たち自身が考えるように、課題を出されている。「生きる力」というのは、そういうところから育まれるものであろう。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります