本

『家庭科が狙われている』

ホンとの本

『家庭科が狙われている』
鶴田敦子
朝日出版社
\1,200
2004.2

 サブタイトルは「検定不合格の裏に」。家庭科教科書を執筆するも、検定で不合格となった著者が、なぜ不合格になったのか、その背後にあるのは何か、を考察したレポートである。口調が冷静に語られているので、より説得力がある。
 教科書検定というと、どうしても社会科や歴史といったことが頭に浮かぶ。とくに思想的な面での検定においては、歴史教科書がつねに争点だった。だが、著者は私たちの目からうろこを落とすがごとく、新しい視点を提供してくれる。家庭科教科書の検定こそ、思想的な誘導あるいは強制の場である、と。
 一部の政治家や新聞が、しきりにジェンダーフリーを攻撃している。揚げ足をとるかのように、その運動の難点をあることないこと大げさに叫んで、世間の賛同を得ようと主張している。産経新聞が、どうしてこんなくだらない論理でジェンダーフリーを攻撃するのだろうか、と私はつねづね疑問に思っていた。たしかに思想的に産経新聞と相容れない面があることは、理解できないこともない。しかし、それは新聞社がどうのというよりも、教科書を検定――検閲であり出版操作であり思想統制であると形容するしかないものだが――する側の論理や企みが、男尊女卑の世の中にしたいという意図から発している限り、当然の「いじめ」なのであると分かってきた。しかも、それが日本の伝統であるからなどと嘘の宣伝で扇動して。
 家庭科の教科書も、しきりにそれを求めている。とにかく、ジェンダーという、社会的な性別の固定枠を取り払うことへの眼差しが少しでも見られたら、絶対に書き直さしされるというのだ。書き直さなければ合格させない。家族という絆をきわめて情緒的にとらえさせ、感情的に家族の和という次元であらゆる問題を自己解決させようという方向付けを、家庭科教科書で狙っているらしい。その様子が、検定の生々しい有様とともに、はっきりとこの本で描かれている。政治的な制度や社会の矛盾といったことの原因には目を向けさせず、すべてを家族内の感情的な問題として処理させようとしている。教科書の検定現場は、事態をどういう方向に動かしたいかの意志の現れなのである。
 同時に私は、家庭科の重要性を改めて認識した。そう、今こうして生活している中で、ようやく気づき、しみじみと実感する。家庭科というものは、「生きる力」そのものだったのである。
 この本は、終わりには、しきりにジェンダーフリー(英語としては「ジェンダー・エクィティ」または「ジェンダー・イクォリティ」)の考え方を強調している。そこは、また読者の受け止め方がいろいろあるかもしれない。ただ、それへの反対派が盛んに攻撃するジェンダーフリーの「馬鹿げた」姿が、実は偏見に基づいたものでしかないことくらいは、ふつうの理性をもつ読者ならば、十分に感じ取れるものである。
 隠れたところでどういう思想統制が行われようとしているかを知るには、相応しい一冊である。




Takapan
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