本

『語りかける身体』

ホンとの本

『語りかける身体』
西村ユミ
講談社学術文庫2529
\1110+
2018.10.

 ふとしたことで知ったこの西村ユミという先生。看護の場面で現象学が用いられているということを知らなかったので私は新鮮に思い、またこのようにして哲学の考え方が適用されていくということを嬉しく思った。
 現象学は、その対象が何であるかを明確に規定することに対して一種の諦めをもつ。あるいはまた、それは人間の尊大な振る舞いかもしれないと私は思う。しかしどうしてその観察された現象が生じたのか、それを捉えようと目を向ける。思えば、医学は、病因を定めようと躍起になっていたし、それが見極められたら対処法も自動的に決定し、治療に至る道が作られる、と思い込んできた。確かに機械ならばその発想法は役立つであろう。しかし、人は機械ではない。メカニズムでマニュアル的に対処し施術してそれでよしとするものなのであろうか。当然、この疑問はあって然るべきだった。だが、圧倒的な治療の成功例が、もうこれしかないとでもいうように、人類の前に突きつけられ、失敗例や例外を排除するままに、機械論的な医学が常識路線を占めてしまうようになっていたのだ。
 本書は、2001年の発行したものが基本である。そのときに、ある看護師を取材し、インタビューを試みている。その語り口そのものを大切にしながら、言葉になにげなく出てくるものが何かを伝えている、というような角度で看護の現場をなんとか描こうと努めている。現場は、いわゆる植物状態にある患者の集まる病棟。幾人かのそうした患者を担当した若い看護師が、戸惑いながら、また傷つきながら、何かを感じて得ていく様子が描かれていく。
 植物状態といっても様々な形態があり、個人差が大きいが、およそコミュニケーションが取れるわけがない、という先入観をもつ世間ないし医学常識一般の前で、実際に担当する看護師は、患者の言いたいことを感じとり、それに応対していくことによって何らかのコミュニケーションを成立させている、という捉え方を、著者ももっている。
 著者は、病棟勤務を経た上での、看護学の教授である。何も頭だけでやっているわけではない。むしろ、体感したことを、言葉にしていくこと、論理にしていくこと、そうして現場の看護師たちが支えられていき、患者のプラスになっていくこと、そんなことを考えているのではないかと強く思わされた。
 植物状態の患者という点に絞った本であるが、タイトルと副題「看護ケアの現象学」からは、それが直接伝わってはこない。本の帯には記されているが、象徴的なタイトルの陰に、もしかするともうひとつ宣伝できるようなアピールが表記してあると、もっと読まれるのではないかとも思った。これは、たとえ植物状態という形ではなくとも、重篤な病人に対しては、その周囲にいる者が心がけておきたいものであると実感できるので、少し学的な記述にはなっているが、できるだけ多くの人に読まれて戴きたいと感じたのである。もちろん、その意図があったからこそ、この度、文庫という形式で新たに発行されたのであろうし、いまの看護や介護などの社会の中に訴える力のある大切なことであるから、世に問うように改めて出されたのであろうから、私もまたこうしてささやかながら宣伝させて戴こうかと思う。
 現象学といっても、フッサールのそれでなく、メルロ=ポンティのそれである。いや、そんなことは知らないよ、と敬遠する必要はない。必要なことはその都度触れられている。むしろ私もそうだが、メルロ=ポンティの思想をここから逆に理解できるという方向で見ていてもよいのではないかという気がする。そして、そこからまたフッサールを知るということへ至ることも考えられるはずである。そして、私たちがこの生活世界で出会う様々な出来事、あるいはまたそれに対する自分の内から出てくる反応などについても、改めて何か役立つ方法に目が向けられるということも期待できるわけである。
 それはともかく、大切な病人に対して、またそれを支える看護スタッフなどに対して、この本には描かれていないが、「愛」ということを実践する道を、私たちに与えてくれるような一冊である。非常に具体的で読みやすいと思うので、関心をもたれた方にはぜひお薦めしたい。




Takapan
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