本

『日本の教会の活性化のために』

ホンとの本

『日本の教会の活性化のために』
上田光正
教文館
\2100+
2017.6.

 シリーズ「日本の伝道を考える」の第4巻。すでに第5巻も出ているが、さしあたりこちらを読んだ。
 広く歴史や哲学にも関心をもち、神学を正統的に学んだうえで、日本の伝道という焦点に向けた思いを、広大な構想の中で組み立てた著作が、先にまず三冊、そしてその後ここから二冊を著すことで、ひととおり完結をさせようとするものである。
 そもそも日本という風土は、どのような宗教的背景をもつものなのか。福音とは何か。教会を建てるというのはどういうことか。そうした観点に続いて今回は、さらに深める形で、より具体的に教会での営みについて検討する。教会を生き生きとさせるものとして、礼拝の根幹であるばかりか、教会の要であるところの、説教というものについて調べ上げ考え尽くしたというものであろうと思われる。
 見方によっては、ひじょうにまわりくどい議論が続くすべてのことを、理詰めで説明しようとするために、背景や根拠を逐一述べていなければならない。さらに、その出典や、本論で触れるには詳細にわたる内容については、注釈を用いなければならない。その注釈が膨大であり、本文の三分の一に迫ろうかという頁を費やしている。ポイントが小さく行間が狭いことを鑑みると、この割合はさらに大きくなる。巻末にあるので、私は注釈にも付箋をつけ、ちらちらと開き見るようにしていた。後から注釈をまとめ読みしようなどということは不可能だし、意味がない。
 さて、そうした著者の情熱に溢れた書であり、渾身の著作であるということは否定しようがないであろう。ただ、注意しなければならない。いかにもこれは学術的で、理由を用いた論理が、もうこれしかないかのように記されているものではあるけれども、時折著者の信念や思い込みが入り込み、それを唯一の真実であるかのように見なしてしまうことにより、ひとつの道しかもうありえないかのように見えることである。厳密に論じようとするあまり、自分の信念をもその中に組み込まなければならなかった著者の思いが、読者にとり不親切となり、また自由や他の可能性を否定し去るものとなりかねないのである。
 たとえば、著者は客観的に教会や教義、そして説教について告げているかのような態度をとっている。ここではプロテスタントの立場から論ずることを断りながらも、カトリックや聖公会にも共通なものがあるとして、自ら建てた公理を許に論を始めていくわけであるが、やはりいつしか自分の馴染んだ世界や自分の信じる教義になじまないものを排除していく結論へと導いていることがある。たとえば、再洗礼派に対しては厳しい態度をとり、力をこめてそれは誤りであると訴えているような箇所がある。また、カトリックの考えの中のここはおかしい、というように聞こえる部分も見られる。
 ドイツ留学の経験があるとの経歴であるゆえか、ドイツの神学者からの引用や検討は多岐にわたるが、英米仏の神学の検討はあまり見られないのも特徴的である。ご自身は改革派であろうか、予定論を重視しているようにも見える。
 そういうわけで、論理的に緻密に展開しているスタイルではあるにしても、ひとりの神学者牧師の経験からの著作であるという点を受け止めつつ、読者は日本の伝道について考えていくとよいだろうと思う。その意味では、もっと実践的に、いろいろな考えがあると思うが私はこうして教会を建て、導かれてきた、というような経験を語る牧師と、意味合いは実は同じなのである。そう理解しないと、恰もこれが論理的に唯一正しい、というようなスタイルである故に、言われていることもこれが正しい、という捉え方を読者はしてしまうことになり、危険である。
 たとえば、説教のエッセンスは15字で文として述べられるものでなければならない、と繰り返すが、15字でなければならない根拠についてはどこにも触れられていない。説教のつくり方が長く語られるが、起承転結という形式でなければならないとか、「初めしんみり、中はおかしく、終わりは尊く」が原理だといきなり示すとか、説教の時間は30分から35分に決めてしまうとか、おそらくご自身の経験を以てそれを正しいものと位置づけようとしているとしか思えない発言が目立つ。その上、これらは聖書の「正しい」読み方に基づくものでなければならないとさりげなく書いてあるのだが、果たしてそのような読み方があるのかどうか、私は疑問である。何が正しいのかを、誰が決めることができるのであろうか。
 ガダマーの解釈学を頼りに、解釈というものを説明するのは結構だが、それが聖書を語るという霊的な場面でそれほど頼りになるものなのかも私には分からない。非常に知識が豊富であることを示すにはよいのだが、なにもそこでカントやヘーゲルを持ち出す必要はないだろうというようなところにも、頻繁に哲学者の名前をさりげなく挙げるような点は、権威付けのための方策のようにも見えてくる。偉い人が言っているから間違いない、というような態度に見える読者も多々あるであろう。
 説教論も、ドイツ系を重んじていることは分かるが、もっといろいろな立場や考え方もある。著者のスタイルであるからそれを変えるわけにはゆかないであろうが、それこそ、この本で言いたいことは、30分で読める内容に、あるいは15字でまとめることができるのではないか、とも思うのだ。
 しかし、多くの資料を提供してくれるというのは、内容のこうした点の区別ができる者にとっては、便利でもある。一読者として、多くの「経験」をさせて戴いた。賛同できないことも多いが、ある事柄について考えるときにどんな人が何を言っているか、などの点で大いに参考になった。そのために、注釈の中にある本をまたひとつ注文したという具合である。上手に読みたい本である。




Takapan
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