本

『下流社会 第2章』

ホンとの本

『下流社会 第2章』
三浦展
光文社新書316
\756
2007.9

 先に『下流社会』という本を出してよく売れたそうである。そちらは知らずに、第2章から入ってしまった。副題は「なぜ男は女に"負けた"のか」とあるが、その点をメインにしていたと言えばそうかもしれないが、インパクトは弱かったような気がした。
 豊富な資料を駆使して根拠づけるのが、著者の手法のようである。経済評論が得意のようで、あらゆる角度から調査資料を出してきて、アイディアを正当化するような段取りで論が進んでいく。
 ある週刊誌を好きな男性はこういう考え方をしてこういうものが好きだ、などともう決まり切ったことのように述べることもある。あるいは、そういう考え方をするからこそ、その週刊誌を読むのではないか、とも私は思うが、そうした方向から語られることはなかった。そういうわけだから、あるものが好きだなどの傾向があれば、それは下流的な存在だというふうに断定する。
 そもそも下流とは何か、の定義は分からない。年収の額がそれを決めているというより以上の視点はなかった。はたして年収がいくらだと、下流なのか。数万円のディナーを予約するような生活をしないのが、下流なのか。そしてフリーターや非正社員が下流的でしかないのか。
 経済評論家というのは、そういうものなのかもしれない。マーケティングというのは、すべてを数字で価値づけてしまわないと機能しないものなのかもしれない。
 結婚できない男女の姿を描くところから、副題も考えられたのだと思うが、経済政策の問題を指摘する上で、経済的条件が結婚を妨げている、と指摘するのは必要なことだろうと思うが、そうではなく、たんに収入額によって結婚できずロリコンになっている、などの書きぶりは、私は賛同できない。しょせん、一流大学卒業のよい身分の著者は、収入の少ない人々は地べたをはいずり回る虫のようにしか見えていないのだろう、という印象しかもつことができなかった。
 数字による資料は、数字しか表さない。そこに精神が出ていると読みとることができるのは、その数字の意味をかみしめた人でないと分からないだろう。肝腎なところは推測に任せ、自説に都合のよいところばかり、あたかもアンケートの数字が自説を裏付けているかのように取り扱うのは、フェアではない。いかにも資料を重んじた客観的な調査のようでありながら、その実はそんなところであるように見えた。
 私の収入は、文句なしに著者の言う下流であるが、冒頭の下流度チェックは、殆ど該当しなかった。




Takapan
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