本

『簡単便利の現代史』

ホンとの本

『簡単便利の現代史』
川本敏郎
現代書館
\2100
2005.1

 30年余り前に日本に入ってきたマクドナルド・ハンバーガー。時を同じくして展開を始めたセブン-イレブン。それらの経緯を詳しく解き明かすあたりは、さすが出版社で料理関係書を扱ってきたことだけのことはある、と楽しく読ませてもらった。
 だが、鋭く手厳しい批判が入ってくる。
 そこには、効率性が優先されるばかりであり、身体性が軽視されるに至り、過程がブラックボックス化していくことにより、「個」が肥大化する。それは記号の消費に過ぎず、コミュニケーション不全をもたらすだけとなる。とくにケータイが社会を変えていく姿に危惧を覚え、日本社会はこのままでいいはずがない、と警告する。これが、この本の章毎のタイトルをつないで導かれる流れである。
 至極尤もらしいことが並べ立てられている。社会批判が正当に述べられているかのように、錯覚してしまう。食文化が人間を変えていくことは、ある意味で常識である。食が簡便化されていくことに、影響力が出ないはずがない。
 だが、それが子どもの教育問題について述べられていく中で、私はようやく気づいた。
 この本は、新聞でその都度取り上げられた社会問題を全部つなごうとする試みに他ならない、と。
 新聞で懸念される見解がリポートされる。それはしばしば、世の中のごく一部の現象である。だが、それを真に受けて全体がそうなっているのだ、としてよいかどうかは、一考を要するものである。しかしながら、この著者に従えば、女子高校生はすべてブルセラや売春に興じており、子どもはすべて親が買ってきたコンビニ食ばかり食べているかのように描かれてしまう。
 あとがきによると、確かに著者は、膨大なスクラップを基にして資料として活用していることが明らかになる。
 そう、この本には、人間の心が感じられない。
 あるのは、マスコミが騒ぎ立てた問題点を、さも因果関係があるかのごとくまとめる作業だけなのである。それは、例えば、経済論に似ている。価格が上がれば人々はこう動き、それゆえにまた世の中がこうなってゆく……経済論はそう述べるが、果たしてそうなるだろうか。なるのであれば、経済政策が失敗することなど、ありえないではないか。それは一つの理論であり、妥当することもあるが、人間はその計算通りにすべてが動くわけではない。できるのは、過去の歴史を、経済的観点から説明することくらいである。
 著者も、それに似た手法をとっている。過去の出来事に関しては、因果関係を尤もらしく語る。しかし、それで人間というものをすべて語り尽くしたかのように錯覚している。
 たしかに、社会問題ではあるのだ。だが、それは世のすべてがそうであるということを意味するものではない。
 たとえば経済学者が、世の経済動向を公的に語る中で、「ですが私ならそんな株は買いませんね」などと発言することがないように、著者も、私的な生活が、この本のどこにも見えてこない。著者自身の等身大の姿はまるで見えず、僅かにあとがきで、出版社を辞めてフリーになりましたということが書いてあるだけである。この著者の食生活や家族関係がどうであるかには、まるで触れない。あくまでも、新聞のスクラップをつないだだけの、さも真実であるかのような理屈ばかりなのだ。
 あらゆる精神活動も、著者自身が把握した根拠だけで説明され尽くすかのように見なして、論理を展開していく。私は、最近そうした人物に出合っていたゆえ、分かった。そしてその人物も、他者の行動については論理的に語りきっているような自負があったが、自身については語ることをしなかった。こうした人物の一種の思いこみは、容易に改善されない。だから、無駄であることを承知で問いかけたいが、著者自身の食生活あるいは情報生活はたまた教育環境はどうなっているのだろうか。そしてそれは、どういう論理の流れでどういう結論に流れてゆくのだろうか。




Takapan
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