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『感染症はぼくらの社会をいかに変えてきたのか』

ホンとの本

『感染症はぼくらの社会をいかに変えてきたのか』
小田中直樹
日経BPマーケティング
\1600+
2020.7.

 2020年世界を襲った新型コロナウイルス感染症を受けての本のひとつである。
 感染症に対する知識を求めるニーズが増えたからであるが、確かに私たちは、感染症や疫病ということを、歴史の中の出来事や絵空事であるかのように思いなしていた。現実にそれがいつでも自分たちの身近にくるということに対して、現実感をもっていなかった。ヨーロッパを襲ったペストが人口を激減させたということも、お伽噺のように感じていた。しかし、歴史を繙いてみると、感染症はいつでも起こり得るものであった。
 そこで、いろいろな角度から疫病に関する本が読まれるようになった。医学的な知識も求められた。しかしこのコロナ禍を越えたところに何があるか、も気になる。そのとき社会はどう変化するのだろうか。すでに変わりつつある世界だが、さらにその後はどうなるのか。それを考える本も必要とする人がいた。まさにいまを乗り切らなければならない人が多くいる中で、余裕がある人が羨ましいかもしれないが、そうしたことを考える眼差しも確かにどこかにあったほうがよい。
 本書は、サブタイトルが「世界史のなかの病原体」とあるように、歴史の中の疫病を紹介している。しかし筆者は、経済学の畑の人である。医学的な知識を説明しようとするのではなく、社会の変遷という面に絞った形での考察というのがユニークである。
 マスクとは何か。何故感染症は怖いのか。こうした問いから始まり、本書は、感染症が歴史をどう変えたのかをテーマとすることを宣言する。
 このように的を絞った論じ方はありがたい。読者に媚びたり、ぶれたりすることが少ないことが期待されるからである。
 社会のありかたと感染症とが相互に影響を与えるということが、長い序章の提示することである。感染症はそもそもどのようにして始まったのか、また爆発的に感染拡大をする理由は何か。それは、社会の制度がそうさせたという指摘をもたらすのであるが、人口密度の増大や、過酷な労働条件のせいだとすると、全くそうだと言わざるをえなくなる。工業化という社会の発展が、まさに感染症の拡がる原因なのだという。これを人間は忘れる。つまりは、自分が感染症の拡大を起こしているという、自分自身の愚かさには気づかないし、認めたくないのである。
 しかし、より具体的にこうした様を提示しなければならない。本書は、ペスト・天然痘・コレラといった実例を挙げ、その時代の社会を持ち出すことで、人為的な原因というものが必ずあることを指摘する。実はインフルエンザもそういうものなのだという。こうした病気についての一定の説明も加えてくれるので助かるが、それ故にその都度人間がどう戦ってきたかという姿をも見せてくれる。私たちが新型コロナウイルスをどう乗り越えていくのかについてもヒントになるかもしれない。
 本書のユニークなところと言えば、随所で参考図書を教えてくれることだ。「ブックガイド」という節が、病気別にこしらえた章の最後に設けられているのである。それぞれ細かく具体的に、その本の特徴を教えてくれるので、これなら読みたいというふうに思わせる力をもっている。さらに、入手のためにアドバイスもくれる。私も何冊かリストに挙げて、いつでも探せるようにスタンバイしている。
 それにしても、インフルエンザによる死者が、新型コロナウイルスより多い日本での現状は、かつてそれほど大変なのかというふうにも見ていたが、今年からは認識を新たにしたものであった。そのインフルエンザは、第一次大戦により拡散された事実があり、そのことがナチスドイツの台頭をもたらした、という指摘にはドキリとした。もちろん医学的な発見や発展という背後の情況はあるのだが、これは私たちもいま無縁であるとは言えない怖さがある。よく見張っていなければならず、決して感情的情動的に政治を変える判断をしてはならないということを改めて教えてくれる。
 その後、20世紀後半からもいくつかの感染症が世界を襲っている。MRSAからエボラウイルスも、その正体や人類の対処などを告げ、最後にはエイズの簡単な歴史を紹介する。いや、最後の最後はやはりCOVID-19のことだ。これから先どうなるのか。何が見越せるのか。いつまでなのか。こんな問いは誰でも尋ねたいものだろう。だがそれを問う時点でも明確な回答はない。それは、私たちがつくる未来である。無責任で自分本位な行動を繰り返すようなことは避けなければならない。そして安易な判断に惑わされることなく、本書が示したような過去を振り返ることを忘れないようにしていたい。
 本書の「おわりに」で紹介されている詩人ポール・ヴァレリーの言葉が印象的である。「我々は後ずさりしながら未来に入っていく」――さすがの詩人だ。過去の歴史をよく見つめなければならない。それが未来を形づくることであるはずなのだ。そのための本でありたいという本書の結び方に、この本の影響は、拡大してほしいものだと願った。




Takapan
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