本

『考えながら学ぶキリスト教』

ホンとの本

『考えながら学ぶキリスト教』
久山道彦・泉守彦・吉岡良昌
川島書店
\2615
2000.3.

 私が書店でこの本を買うと、書店はすぐに在庫として埋めてきた。発行してこの時点で10年を数える本だが、売れるのだろうか。それはうれしいことだ。
 大学の講義が掲載されているような本である。しかも前半はどこかレジュメ的で、読みづらい。読んでも意味が分かりづらいことがある。レジュメは話を聞いてこそのものであって、ただレジュメだけを渡されても、あらすじは分かっても意味の理解は難しいことがあるだろう。
 教育的配慮の行き届いた本である。最後のところが、教育論がどんどん展開しているのもそのためだろう。大学における学問としても成立するように、聖書や歴史の理解においても、実証的な範囲が保たれる。ひとつの学問的研究成果として言えることを冷静に伝えようとする。
 つまりは、これは信仰書ではない。学問の本である。だが、だから信仰に役に立たない、などと決めつけるのも愚かである。聖書を、最近の考古学や神学などの学説を踏まえて取り扱うときの様子や注意点が、事ある毎に記されている。その学問の成果の提示が、なかなか味わいがある。信仰的にも助けになるということである。箇条書きにそれがしてあると、論点が分かりやすいようで、分かりにくいところがある。文章だと、その息づかいが聞こえてくるし、ここに力が入っているのだ、いうのも感じ取れるものだが、箇条書きで並べられた論点からは、それが伝わりにくい。しかし、そういうものだと割り切って利用するならば、これがどうしてどうして、役立つ証拠ということになり、大いに信仰のためにも助けを寄越すということがいえるだろう。
 聖書の成立から当時の世界の歴史的背景や常識というものもじゅうぶんに伝えて、この本による講義が始まる。歴史的な研究成果をもまじえて、イエスやパウロの姿が浮かび上がってくるようになる。そして、キリスト教とは何かという問いかけが始まるようにして、神に創造された人間というもの、イスラエルは何を希望したのか、など考察の基となるような重要な項目を考えさせるようにしている。
 最後に、生き方としてキリスト教を選ぶというのはどういうことか、が紹介される。
 これは学校キャンパスにおいてキリスト教を伝えるときのひとつの方法である。それは、中にも触れてあるが、権威主義的宗教と人道主義的宗教とのスタイルがあるとして、教会では前者で押し通してよいしそうするべきなのだが、学校ではいくらミッションスクールでも、後者のような配慮に基づいた語りがなされるのが相応しい、としている。だから、学校において教育の環境の中でキリストが語られるときには、いくぶんのヒューマニズムが交えられて、あるいはそういう思考法から初心者に語りかけられるのがよいというわけである。
 この本を読むときにキリストと出会えるというものではないかもしれない。しかし、キリストに出会って180度方向転換ができるための準備はなされることだろう。それだけの知識が与えられる。聖書の世界が、人生論というレベルを超えて迫ってくる。だからまた、すでにクリスチャンである者がこれに触れて、学問的に明らかになっていること、歴史的な意味などに裏打ちされた確かな信仰に進んでいくということも十分ありうるものと思われる。私にしても、幾度も、そういうわけだったのか、と見通しが明るく思えることがあった。自分の信じ方に、新たな聖書的根拠が与えられるような気持ちさえしたのである。
 学的な扱いに慣れない人にどうしてもとお勧めするつもりはないが、とくに大学生になったとき、この本は大いに助けになるだろう。聖書に関する事柄についてそうであるが、巻末に、レポート作成の方法が丁寧に教えられている。学生にはまことに親切な一冊である。




Takapan
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