本

『科学者が読み解く環境問題』

ホンとの本

『科学者が読み解く環境問題』
武田邦彦
シーエムシー出版
\1000+
2009.10.

 物事をはっきり言う人がいて、論壇は活発になる。忖度の渦の中でもたもたしているよりは、よほど気持ちがいい。できれば感情の影響なしに、言いたいことが言えたらいいと思う。その点でこの著者は、世に適切な議論の種を振ってくれているのではないかと感謝したい。
 いくつかの主張において、曖昧なところがなく、明確である。この方は多くの著作を出しており、基本的には同じようなスタンスで語っている。それは、世間でとやかく言われている環境問題に関するテーゼのうち、完全に誤っているものがいくともある、というこである。それも、マスコミが広め、人々がそれを信ずるようになっていて、環境のためによくないことも多々起こっているというのだから、こうした意見には耳を傾ける必要がある。みんな言っていたから本当だと思う、という私たちの素朴な心理が、実はよってたかってとんでもないことをしていた、ということになりかねないからである。
 今回は地球環境の話題であるが、三百頁を超えるA5サイズの本であるから、文章も資料もそうとうに中身がある。温暖化とよく言われていることについても、科学的に冷静に分析をすればお門違いだという点を、綿密な科学データと、それのもたらす結果や原因などを、丁寧にたどり、主張する。しかし温暖化の脅威だけならまだよいかもしれず、かつて大騒ぎされたダイオキシン問題は、いま誰も口にしないけれども、あれは一体どうなったのか。著者が言うには、元々あれは問題ではなかったのだから、当然いまはその真実がまかり通っているだけなのであって、かつてマスコミが大騒ぎしたことで妙な先入観が植え付けられ、またそのために実は地球環境にとってもよくないことが生じていた、などというような論法である。同様に、狂牛病とは何だったのか、検証することにより、いまさかんに言われている気候変動や温暖化についても、話題として言われていることは虚偽である、というようなことを示すための本となっていたのである。
 基準は、科学的か、非科学的か、という点である。いくら宣伝がうまくても、その内容が虚偽であれば、その言明は認められるべきではない。それが科学というものだそうた。温暖化というが、気温が上がっているのか、またそれは有史の中でどのくらいの領域で言われているのか。脅威とされていることが本当に起こるのかどうかの計算。こうしたことが、一つひとつ挙げられていく。
 私も実は、ある程度は一歩引いて考えていた。いまや燃料電池がエネルギーの救世主のようにも言われている。その開発に意味がないなどとは思わないし、事実その排気ガスのクリーンさについては、中学生でも十分理解できるメリットがあるのは分かる。しかしそれが、石油を消費しないという理解と重ね合わせるなら、果たしてそうなのか、という疑念はあった。水素をどうやって作成するか、である。そのときに相当のエネルギーを消費して水素を生み出すことになるはずだが、そこで石油を使わないということはまず考えられない。実際にどのくらいか、そこが明らかにされた上での、エネルギー問題対策としての燃料電池となるはずなのに、あまり言われない。それから、本書にも詳しく数値化して述べられているが、リサイクル問題。心情的に、リサイクルしたほうが、節約したり自然保護をしたりした気分になるのは分かる。しかし、再び製品にするときにも、必ずエネルギーを使う。ペットボトルを回収して繊維を作ったとして、集配や運搬を含め、そのために消費されるエネルギーがどれほどのものなのか、これもあまり言われないのである。この点については、本書が取り上げており、ある程度の概算にはなるが、コストは余計にかかるし、そのためにエネルギーを多く使い、あげく、回収品からの製作品は、質が落ちることが指摘されている。トータルで見たとき、エネルギーを節約したことにはなっていないのではないか、という危惧があったのだが、それは確かにその通りなのだという。
 もちろん、資源を再利用するということが無意味だとは思わない。ただ、リサイクルをしたぞという自己義認の満足感が、これは全く良いことなのだ、と称することのほうに問題がある、これはいいことなんだ、と自ら褒め上げることが如何に危ないことなのかは、新約聖書のファリサイ派や律法学者に対するイエスの批判を思い起こせば明らかである。
 最後には、科学者の環境に果たす役割について、これまでの歴史と、いくらか哲学的な論及がなされており、データに基づく話が苦手な方は、案外ここから先に読んでもよいかもしれないと思った。
 初めに触れたが、はっきりとし反対論をする人は貴重である。その指摘の中には、きっと尊重しなければならないことか含まれているだろう。だが、一つ良い指摘があったからと言って、他の九つも正しいという推論は成り立たない。あくまでも環境問題は、地球に住む全員の運命を左右する問題として、慎重に考えなければならない。石油が有限であることは、決して克服できない課題なのである。また、本書では「温暖化」については疑問視するべき理由が多々あることが指摘されているが、「気候変動」全般についてありえないなどと言っているわけではない。つまり、炭素量か気温か、その辺りが楽観的な見通しがもしできたとしても、気候が災害をもたらす点は、困難な状況に陥っているのではないかと案ずることは誤っているとは思えない。特に、環境に関する世界的な話し合いが開かれても、利害対立、とくに大国の自国経済優先の立場がぶつかり合う話し合いでしかないのであれば、ブレーキもかかりづらいことだろう。欲望の故に資源を使い放題であることや、そのエネルギーを武器や兵器に使うということでよいのかどうか、など、一種の闘いを経て解決しなけれはならない問題は、現にあるのだ。
 つまり、このような本を免罪符として、資源の無駄遣いや節約しないことを正当化するような用い方をする輩が、必ず出てくることに、警戒しなければならない。そして、環境保護運動をする団体や個人を、バカ呼ばわりしたり、その努力を足で踏みにじるようなことをしたりしてほしくないということである。もしかすると後で、やはり地球環境に害だったのだ、などということが判明するかもしれない。だがその時になってそう噛みしめても、もう遅いのである。歴史は一回きりの出来事である。リスクを大丈夫と言ってのけることをやりたい欲望の持ち主は必ずいる。それを助長するようなことに使われなければいい、と願うばかりである。ただ、このような指摘を踏まえての、環境活動であるといいか、とは思っている。




Takapan
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