本

『看護覚え書』

ホンとの本

『看護覚え書』』
フロレンス・ナイチンゲール
湯槇ます・澤井坦子・小玉香津子・田村眞・小南吉彦
現代社
\1700+
2011.1.(第七版)

 第七版という異例の表現とを私がとったのは、その前の版で改訳した後、この版で「看護師」という名称に切り換えているからである。最初本書は1968年に発行されている。また、本書の終わりに述べられているが、本邦諸訳はおそらく1913年、その後を継いで1968年に本書が訳を出したということのようである。
 看護学の図書を多く出版している現代社であるが、中でもこの『看護覚え書』は、最も多く読まれているものではないかと思われる。ナイチンゲールが誰にも読めるような形で記したメモの集まりのような、だが名著である。具体的にはもちろん書かれた当時と今とでは食い違うこともあるだろうが、恐ろしく一致しているとの見方もできる。とにかく1860年という当時、そもそも看護師という身分すら、うさんくさいものの代名詞であったし、医療への看護、とくに衛生概念については皆無だったと言っても差し支えないほどの情況であった。ナイチンゲールと聞けば、白衣の天使などとの勝手なイメージが先行しているかもしれないが、実質の看護経験年数はさほど多くない。むしろ、女王との信頼関係を育み、政治的に、看護師の地位の確立はもちろんのこと、衛生状態を改善するために病院をどうすればよいかについての交渉とそのための調査や著述が半端なく多いのである。だからいくらかの経験を基として、現実的な社会改善と著述のために生涯を送ったと言ったほうが適切であるのではないかと思われる。
 その主著と言ってもよいであろう、この『看護覚え書』であるが、驚くほど実際的で、きびきびし指摘されていて小気味よく言葉が突きつけられていく。読みものとしても十分面白い。いや、面白いなどと言っては失礼だろう。そこにはひとの生き死にがかかっている。しかし今の看護学生に教えるにしてもその内容は伝わりやすく、心がけとしても申し分ないものだから、学生必読となっていることも多いだろうと思われる。地道な訳と発行に関わる多くの方々のご苦労が偲ばれるが、きっと報われることだろうと願いたい。
 まず換気と保温の問題から入るのが印象的である。それのどこが看護なのか、と思われるかもしれないが、看護師が病気を治すものではないということに気づいたら、人間の治癒力を育んでいくために必要なものとして、これは納得のいくものであろう。住環境についても実に具体的な、こういうふうではどうだなどと述べながら、本は進んでいく。物音について患者が如何に敏感であるか、どのようにそれが苦しめてくるのかなど、看護の現場から得たであろう声をほんとうによく蓄えて、こうして訴える時に生かしているものだと驚く。食事でも食生活を偲ばせる叙述が多いが、現代的に置き換えてもそのままその考え方は使えることだろうと思う。もちろん、病院の現場の声は、いろいろただし書きが多いのではないかと思うが、ナイチンゲールが如何に細かな点にまで気を配り、記憶し、改善をつねに図っているかという姿勢を学ぶだけでも絶対に得るところは大きい。終わりのほうで「病人の観察」という項目があるが、これが他と比べても何倍も量が多い。それは確かにそうだろうと思う。いかに患者を観察しているか、看護はそれに尽きるとも思えるし、少なくともナイチンゲールはそのように言っている。教育もそうだ。子どもたちの様子を観察してこその教育である。自分がどのような計画でどう教えるかということは、当然の準備ではあっても、現場では決して主役になってはいけない見方である。患者に対するときにも、その患者の状態がどうであるか、どんな心理か、実のところ言いたいことを抑えてはいるがこれが言いたいのだ、あるいはこのように近寄れば、このように話しかければ、患者はどう反応せざるをえなくなるからそうしたことはするなというような注意が並ぶなど、とにかく患者の見えない背中までが見えるほどにまで、あらゆる観察を常時続けていかなければならないということが強調されてい。当然のことであるが、実際これが如何に難しいかは、教育の現場を考えるだけでも納得がいく。
 巻末の索引。これほど愛情のこもった索引が、かつてあっただろうか。用語が項目として挙がっているのは当然であるが、それがどういう文脈で用いられているのかまで踏み込んだ表現でそこに並んでおり、それを見て自分の知りたい文脈で書かれてある箇所をたちどころに開くことができるという具合である。従来、用語を索引で調べて、一つひとつ開いては、ここではない、また違う、と調べ直すのが常であった。それをこの索引は見事に超克した。それだけでも感動的である。
 副題には「看護であること 看護でないこと」と書かれている。看護とは何か。この哲学的な問いに答えるには必要不可欠な着眼点であることだろう。ナイチンゲールはその実践と共に、深い思索を一つひとつの言葉にこめている。本書が最初に、ナイチンゲールを、信念の実現を目指し続けた「偉大な思想家」であると断言したのも、その通りであると言わざるをえない。確かに、大したひとであったと敬服する。




Takapan
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