本

『看護の力』

ホンとの本

『看護の力』
川嶋みどり
岩波新書1391
\756
2012.10.

 ナイチンゲール記章を受けたというから、看護の世界で多大な貢献をなした方がその考えをまとめた本である。
 新書という形だと、基本的に一つのことを言いたい、という気持ちで書かれていることが多いが、この本もそうだろうと思う。看護とは何か。60年間という長きにわたり現場に関わり、医療の変化も弁えた上で、しかし人間が向き合う真摯な場としての看護の位置づけを、不自然にならないように配慮しながら、精一杯その人を大切にするという視点から問い続けている姿勢が溢れている。
 それは、連れ添った夫を病で亡くした経験も小さくないだろうが、生命そのものについては、他の家族のことがきっと大きかっただろう。それは看護とはまた少し違う角度から見られることだろうから、本の終わりのほうに、さらりと書いてあることなのだが、私は、そしておそらく多数の読者が、そこを心につよく残すのではないかと思われる。お読みになる方には、実際に読み進んで最後にそこに触れて戴きたいと思うので、ここではそれを明らかにしないでおく。ご容赦願いたい。
 かつて独身が当たり前だったという看護師。当時は看護婦と言った。しかし著者は結婚をし、子育てもした。時代的にずいぶん外れた扱いを受けたらしい。しかし当然と言えることは、しばしば現場からは非常識の烙印を押される。実際に家族と助け合い、子どもを育てるなどの経験をすることは、看護をする者にとり、マイナスになるはずがない。
 そんな中で、若いころの失敗や残念な思い出をも踏まえながら、何かしら患者にとりプラスになっただろうと思えるようなエピソードなどをふんだんに盛り込み、この本は、あたたかなヒューマンノンフィクションとなってもいると言えるだろう。
 ナイチンゲールと聞くと、一般の方は、白衣の天使という程度のフレーズしかご存じないかもしれない。だが、ナイチンゲールが白衣を着て現場で活動した時間は、ごくごく短い。彼女は彼女の立場から、一定の政治的な力をもつことができたので、看護という立場の改善や、病院患者の待遇の改善、それはもちろん疾病の治癒のための必要な清潔という基本的なありかたに始まるのだが、そうしたことを、いわば劇的に実現した人であるのだ。だからまた、たんに現場だけでは強く言えなくなるかもしれないような、理想もしばしば掲げている。しかしその理想は、つねに現場のナースにとり、指針となりうるものであるのだ。
 この本には、随所にナイチンゲールの言葉が引用されている。それは、やはり現場でどうすればよいかと悩むナースにとり、そうだ、そうすべきなのだ、と背中を押され、勇気を与えられる言葉である。そのことが、著者の体験談の数々の中から、こちらも読むだけで肯きつつ歩んでいくことができるように感じた。
 イメージやニュース報道だけで、看護師というものを捉えることはできない。それは、自分が患者の立場になってみるとよく分かる。入院した経験のある方、またその家族の方々は、しばしば、看護師さんには本当にありがたいと思う、というしみじみとした感想の言葉を口にする。それはたしかに職業ではあっても、おいそれとできることではないのだ。それをしてもらえたという事実は、命というものに加えて、そもそも人間とは何であるのか、についての視点をはっきりと与えられることにもなるということらしい。
 人間について、生命について、一言で片づけられるものではないかもしれない。だからまた、著者の看護観というものが、万人に等しく適用できるのかどうかも分からない。だが、大筋で、見落としてはならず、忘れてはならないことを、この本はたくさん示してくれている。機械に頼り、触れあいのなくなりつつある医療現場への警告がたとえばそれである。それは、東日本大震災のときにも明らかになる。医療器具のない場所で、ただ患部をさするというだけの行為が、最高の看護となる可能性がそこにあったのである。
 病巣をピンポイントで、機械の部品を修理するかのように扱う。それもまた、ひとつの医療であるはずだし、病気が治るというのであれば現代医学の成果である。だが、看護までその路線に流れていくべきであるのかどうか。風潮に待ったをかけるような提案は、著者が多様に経験した、看護医療の人生の中で掴んだ信念であるとも言えるだろう。
 看護の世界が、ナイチンゲールの精神を今なおその戴帽式で欠かせないものとしているのは、どうしても譲れない筋があることの証しとなっている。あくまでもそこから離れないでいるべきだという強い精神を、また次の世代の看護師たちが、背負い、伝えていかなければならないだろう。
 それは、キリスト教世界にも同じような精神が言えることだと感じるから、そして私の家族もそうしたナースの一人であるから、つまり私自身看護医療を支える家族の一人であるから、そのように切に感じるものなのである。




Takapan
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