本

『考える障害者』

ホンとの本

『考える障害者』
ホーキング青山
新潮新書
\720+
2017.12.

 障害者であるのに、などということが一般に言われそうだが、基本的にそんなふうな言い方を私はしない。すでに立っているところが、障害者を他人あるいは別世界のグループとして捉えているような言い方が出てくる場所にいないと思っているからだ。しかし、そんな私も、社会生活の中で不自由を味わっているわけではないので、障害者その人から見れば、偽善者のように見えても仕方がないとは思っている。
 著者は、障害者としての芸人である。近年、とくに私は「バリバラ」の貢献が大きいとは思うが、障害者の本音というか、その立場からの発言が社会に発信され、また比較的認知されるようになってきたように見える。SNSという情報発信の手段が、そうした声を表に出すのに役立っていることは否めない。しかし、多数であるいわゆる健常者もそれに対してなんらかの見解をもち、表してくるのは確かであり、いざ何かトラブルや議論が起こると、意見の相違がぶつかることはある。
 乙武洋匡氏の言動が話題になることもあったし、バニラ・エアへの搭乗を捲るトラブルは大きく報道され、社会をいくらか動かした。しかし小さな「事件」は日常の中に多数ある。そこへきて、あの「やまゆり園事件」は世間を震撼させた。その思想性や社会に潜む差別感などを露わにしたのではないかという意見も聞かれた。新聞報道からしても、一大事なのであった。当然であろう。
 こうした空気の中で、著者は、そもそもずいぶんと前から、こうした考えについて見解を述べていたわけでもあり、またそれをネタにしてプロの芸人として今日まで歩んできたわけでもあるため、ここへきてもやもやとした空気に、筋の通った意見を、楔として打ち込めるかどうか、というあたりで、動いたのが本書であろうと思われる。新書であるため、人の手に取りやすいし、著者の考えを一定のまとまりの中で貫くことができる。企画としても良かったと思われる。
 一冊の中であらゆる障害者と社会の問題をこめるのは難しいわけだが、むしろ研究的に貫くのではないから、聞きやすい。著者にしても、これでケリをつけたいという思惑で吠えているのではないのだ。それでも、24時間テレビの問題は障害者の目から見てどうだということが、必ずしも決まるものではなく、しかしなお、それが善いだけのもので終わることではないこともきちんと指摘する。すべてが善しと決まることは到底ないはずである。その中で、安易にこれで善しとされるようなことへ、そうではない見方があるはずだという点、またすいすい社会が動いてはいるが、実は見落としていたり、気づこうともしていなかったりするものを明らかにしたいという気概も感じられる。
 著者自身、これが結論だという考えはもっていない。では、結論のない意見は無意味なのか。そんなことはないだろう。本書は、新聞書評など各方面で注目されている。本書は緻密に論じられたものではなく、感情でも書かれている。しかし、ただの思いつきではない。半生を懸けて伝えようとするものがこめられている。これは、失礼な言い方かもしれないが、「叩き台」にするだけの価値のある声であると思う。障害者も健常者も、その境界で生まれたこの声をまず聞き、そこから何が問題で、どの方向に歩いていくとよいのか、また現に起こった事態をどう理解していくとよいのか、共に考えていくことが望ましいと思うのだ。それだけの材料を提供してくれた、この勇気ある発言に敬意を表すると共に、言い放つだけでなく冷静にこの後の成り行きを期待している著者の願いを酌み取り、私たちは、ここから何かを始めなければならないと強く思うのだ。
 その意味でも、「考える」というタイトルは良かった。ここから考え始めることを、誰もがしなければならないという問いかけとして、それが展開していくことになるはずなのだから。




Takapan
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