本

『神様2011』

ホンとの本

『神様2011』
川上弘美
講談社
\800+
2011.9.

 ラジオの「パナソニック メロディアス ライブラリー」で、来週扱うという予告を聞いて注文したのが日曜日。月曜日に届き、火曜日に読み始め、読み終わった。なんといい時代なのだろう。
 番組で取り上げることになるのは、3月11日直前の放送日だからだというが、このタイトルに付く「2011」は、もちろんその東日本大震災のことを意味している。しかも、福島の放射能漏れ事故を扱っている。
 但し、ご本人は、この「あとがき」にもあるように、「原子力利用にともなう危険を警告する」というような意図は全くないと言っている。「むしろ……」というところは本書に触れて最後の頁で味わっていただきたい。
 この本の創作にまつわる背景が面白い。1993年に作者は『神様』という短編を書いている。デビュー作だそうだ。実に短い。二時間ほどで書き上げたといい、ほんのひとつの場面だけで終わる。だが、川上弘美さんらしいものをちゃんと出している。まず「くまにさそわれて散歩に出る」から始まる。このくまは、殆ど人間と同様である。ちゃんと喋るし、律儀である。だが魚を獲るなど、することはくまである。そのくまと、川原に行って帰ってくる、というだけの物語である。最初の一行を受け容れるかどうかで、この作品を楽しめるかどうかが決まってくるが、読んでいくと、なんの違和感もなくなってくるから不思議だ。
 もちろんストーリーをここで全部明かしてしまうような野暮なことはしないが、手に取ればあっという間に読み終わる。それでいて、何かが心に残る。それは確かである。
 この話が終わると、次に『神様2011』が始まる。つまりこの『神様2011』という本は、オリジナルの『神様』と『神様2011』とを並べて載せている本なのだ。自分の作品であるから、いくら引用しようと問題はないだろう。いくら変更しようと構うまい。
 物語の始まりは、さっき読んだ物語の風景と同じである。デジャヴかなと思うほどである。だが、三行目にはもう「あのこと」が登場する。もちろん、福島の原発事故である。
 以後、最初の物語と同じ場面と同じ流れを辿る物語となるのだが、防護服の風景があったり、被曝量を気にしたりする。獲った魚も食べることをためらわねばならない。大筋を変えることはないのだが、ディテールにおいて、放射能の影響を考慮しながら行動することになる。いわばそれだけである。ただ、自然の風景は随所で変貌している。
 何も、原発反対と唱えたいようでもない。あくまでもくまと二人、淡々と日常を、少し異様な形で経験していくだけだ。元々の作品にある不自然というか、ファンタジーというか、異世界の出来事である流れがあるから、なんだか放射能の影響も絵空事となっておかしくないのに、妙にそこだけが生々しいのである。ファンタジーを読んでいて、妙に世知辛い打算が盛り込まれているとすると違和感を覚えることになるだろうが、そのように、奇妙に現実感のある放射能被曝が、これは現実そのものであり、日常なのだということを逆に読者の心に植え付けていく。
 デリケートな科学知識を扱うだけに、いくつかの本で学んだことと、知識のある人に協力してもらっていることを、作者は明らかにしている。それでいて、無責任な「コメンテーター」のように分かったようなことを言うつもりはない。文学は、政治的な主張をするために文章を綴るのではないのだろう。私たちが生きている世界、過ごしている毎日は、実はそんなに自分が思うように決められたものではなく、想像する力次第では、どんなことでもできるし、どんなものにでもなれる、ただそれを通じてこそ、現実の本当の姿や意味を感じることができるのかもしれない。そんなことに改めて気づかせてくれるような、心にズンと響く短編であった。
 なお、この「くま」は、別の短編「草上の昼食」で姿を消す。この愛すべきキャラクターと、「神様」の行方について気になる方は、そちらをご覧下さるとよいと思う。




Takapan
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