本

『神様』

ホンとの本

『神様』
川上弘美
中公文庫
\457+
2001.10.

 短い同タイトルのデビュー作と、その頃の短編作品を集めたもの。「くまにさそわれて散歩に出る」という書き出しから、もうたまらない。解説の佐野洋子さんがこれに笑い転げて作品世界に入って行ったというのもよく分かる。これについては、後に『神様2011』という形でアレンジされて再登場するが、それについてはそちらの本のご紹介で触れた。
 異世界と呼ぶにはあまりに自然な、日常風景の中にとんでもないものが平然と過ごしている様が次々に描かれる。シュールというのもなんだかおかしい。そもそも初めから、彼らがその辺りにいるような気持ちがしてくるから不思議だ。そこが作者の魅力なのだろう。
 思えば、私たちが理性により事実だと思い込んでいるものですら、ひとつの幻想であるのかもしれない。水木しげるさんの見ていたものが異世界であると決めつける必要はないのだ。
 作品の内容を悉くここで紹介することは目的ではない。好き嫌いはあるだろうが、私は十分楽しめた。不思議な感覚の中を浮遊するばかりでなく、こちらこそが本当の世界ではないのか、という信者になりそうだった。
 ただ、「離さない」は怖かった。人魚が「離さない」のであるが、魅入られた人間が感じる魔力とはこういうものなのかと思わされた。私たちには、それぞれの「人魚」がいるのだろうという気がしてきた。
 こうした架空の、あるいは現実の中に潜んだ本質的な異形の存在の描写は、ないわけではないが、簡素である。つまりこれをアニメ化することは許されない。すれば興味が失せる。読者一人ひとりの中で、それらがどういう出で立ちをしているのか、どんな表情をしているのか、たっぷりと想像するしかないのである。そもそも『神様』のくまですら、全くのくまであるようにしか描写されていないのであるが、人語を解し、甚だ「ひと」のいい奴として律儀な様子を示す。彼と共にピクニックに出かけるなど、不思議極まりないことだが、どんどんその場面に没入してしまうしかないのだ。
 このくまの物語は、最後の「草上の昼食」で回収される。これで終わりかと思いきや、後に東日本大震災と福島原発事故を受けてたちまち、「神様2001」で蘇るので、この三つの作品を味わうのは、被災者のことに思いを馳せるときに、ひとつの扉となる可能性があるとしてよいと思う。それがすべてではないにしても。静かな怒り、それは日常をどう捉えるかにも関わってくる。私たちの日常は、これらの物語を異世界呼ばわりするところとは違うのではないかと感じる。
 収められた「河童玉」だけは、お子様には不向きだが、ほかは若い子にも面白いのではないか。いや、「クリスマス」もあまりよくないか。
 理解しようとするものではないだろう。まして、寓喩だと睨んで背後の意味を探ろうなどと考えるべきではない。これらは、私たちが普段意識していない形の現実なのであり、いかにもの非日常であるように見えて、とても当たり前のことだと思うのである。あるいは、私たちの生活のよくある世界の中に、別のものが介入してくるという幾つかの例を紹介してくれているのかもしれない。
 そうすると、聖書についても、このような捉え方は十分に可能であるばかりか、キリスト者は聖書をそのように読んでいるのではないかとも思えてくる。自分の理解しやすいような意味づけをして聖書を読んできた古い時期もあった。そして私たちの日々の営みの中に、神が突如として介入してくる場面を聖書の中に無数に見ると共に、自分自身もまたそれを体験したからこそ、聖書を信じるようになった。
 信仰は、川上弘美さんの世界と、さほど遠くない。




Takapan
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