本

『神に呼ばれて』

ホンとの本

『神に呼ばれて』
日本キリスト教団出版局
\2600+
2003.3.

 召命から献身へ。日本各地で活躍する、牧師や神父、伝道師など、キリスト教関係の職に、神から招かれた人々の証詞を集めたもの。
 ご存じの方はよいが、こう言われても何のことかぴんと来ない方も多いことだろう。「召命」は「しょうめい」と読み、独特の意味でキリスト教世界で使われる語である。神に招かれることであり、伝道などの専門職に呼び出されることをいう。英語だとCalling、ドイツ語でBerufというが、職業を表す言葉には、この元来の意味を含むものがある。これらは、神に呼ばれることをまさに意味する言葉だからである。この世の職もまた、神によりその人が呼びかけられ、その場へと呼び集められたものである。天職という日本語が、かすかに近いものを示しているかもしれない。プロテスタント教会の始まったころに、この考えが中心的になってきた。カトリックはまた違うと言えるだろう。
 本書に載せられた多くの方々の証言は、神との格闘のものである。と言いたいところだが、こればかりは様々なケースがある。ひとつのイメージですべての人が塗りつぶされているわけではない。神は、その人そのひとに応じて、実に様々なドラマを用意してくださっている。そして、私たち読者もまた、その一人であるのだというふうに思われてくる。それが本書のよいところである。
 どこかのらりくらりとした中で、牧師になったような人も、いないわけではない。誰もが劇的な回心を遂げ、嫌がる中をキリストのために働けと迫られた訳ではないのだ。中には、失礼かもしれないが、大笑いをしながら読んだものもある。それはひとつには、筆者が笑わせることを狙って書いたであろうということもある。しかし、ほんとうに神は様々な仕方で、ドラマチックに、あるいはコミカルに、人を選び導くのだということが本当に、楽しく描かれているということが分かるのだ。また、その神の計らいが実に喜ばしいというふうに見えてくるせいもある。
 2003年の発行から、15年以上経って私は初めて本書を読んだ。だから執筆当時はさほど有名でなかった人でも、いまは超有名になったというような人もいたりする。その意味で、当時書かれたこの体験談は、本物である。その導きがいまもなお続き、成長させてもらっているからである。
 そして、どの方も文章がお上手である。さすが、ふだんから礼拝などの説教を語っているだけのことはある。同じエピソードでも、どう導入し、どう展開し、どこでクライマックスを迎えるか、着陸するか、そんなことを日々考えて文章をつくり語っているが故に、自分のことを同様に、読者に伝えることも可能になろうものである。
 しかし、それだけではないと私は考える。それぞれの人が、まさしくキリストと出会ったという事実があるからこそ、その体験談も輝くのである。嘘を描くとなると、どうしても辻褄合わせや、作為的な内容と表現にまみれることになる。しかしほんとうに神と出会い声をかけられたのであるならば、なんの偽りも演技もなく、ただ体験したそのことを吐露すればよいのである。その事実性が、語る内容を真実に彩る。自分と神との関係が結ばれ、それを中心に置いて思い起こすのであれば、嘘は混じらないし、どう描いても嘘になるはずがない。
 妙に脚色したり、気取って書いたりするという可能性も、ひとにはあるだろう。しかし、ここにはそれらは必要ない。変わりようがない、自分と神との物語である。私たちは、それらの文章の背後に、噂や証言に登場するからという理由ではなしに、確かにそこで活動している神のはたらきを知ることになるだろう。
 実は発行当時私はこの本を見落としていた。後に今、このシリーズの後継となる本を見つけて購入したところ、過去に同様のものが出ていると知り、注文したという具合である。15年後に出されたほうの証詞を先に読んだが故の感想かもしれないが、この以前のほうが、私は真実性を強く覚えた。新しいほうが嘘だというのではない。ただ、神からの呼び声と導きというものが、新しいものほど、希薄なのである。本書のほうが、一人ひとりの息吹を強く感じ、神がぐいぐいと引き寄せていることもよく窺える。時代の変化であろうか。ほんの気のせいや、偶然そういう原稿が集まったというのならそれはそれでよいが、私は懸念する。何か神との交わりや結びつきという直接的な体験において召命を受けたということのない、ふわふわとした、命のない言葉を垂れ流すような証詞にもならない証詞を、実は聞いたことがある。最近の人がそういうものだなどと言うつもりはさらさらない。しかし、時代とともに、何かが変わってきているのは確かだと思う。
 その意味でも、本書はどっしりと、より確かな神との結びつきを感じる。説教集を読むのもよいが、伝道者の体験を真実に告げる本書のような証詞もまたいいものだと思う。時折こうしたものを、交互でもいいから味わってみては如何だろうか。




Takapan
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