本

『神々への美宝』

ホンとの本

『神々への美宝』
宗像大社
求龍堂
\1818+
2020.11.

 全編写真の、本としても美しい作品。写真家の山村善太郎さんが、写真家冥利に尽きる、と感激しつつ、国宝の数々のうち、適宜選択して撮影した写真が集められている。
 神社関係の撮影に傾倒し、神道への理解が深いだけあって、選ばれたのかもしれないが、これほどの価値あるものを委ねられたということは、本当に凄いことだ。
 宗像大社は、福岡市と北九州市の中間に位置する。「神宿る島」として知られる沖ノ島を中心として、近辺の地域の歴史的遺産が2017年に世界遺産に登録された。特別な掟のもとに歴史を刻み、また日本最古の類の文化をいまに伝える奇蹟的な島々である。その信仰は、宗像族という人々がいたといい、北九州区域の源でもあり、また朝鮮とのつながりからしても、日本の古代史のお好きな方にはたまらない魅力の地である。
 人間の文化を、こうして時を超えて知ることができるというのは、なんとも神妙で尊い思いを抱かせるものだ。ここに収められている写真の宝物は、6世紀から7世紀のものが多いが、中には5世紀、4世紀と推定されるものもある。年代がよく分からないものもあるので、日本有史の古さと見事さという点では、畿内の比ではないと言えるかもしれない。
 いまにこの輝きを伝える品々を見ると、もちろんそれは写真の見事さにもよるのだが、やは神々しいものを覚える。さぞや当時は、この世のものとは思えぬきらめく宝であったことだろう。
 サブタイトルのように大きく書いてあるのは、「世界遺産「宗像大社神宝館」」という文字。これは島ではなく、陸地の宗像大社の一部のような場所にある。これは福岡に住む者としては気軽に行けるところであり、こうした見事な品々を間近に見ることができるわけで、私も行ったことがある。機会があればお勧めしたい。一般だといま800円の入場料となるが、損はない。
 ササン朝ペルシャ製といわれるガラス製品も見事だが、銅鏡の多さに息を呑む。この古代のみならず、その後の日本史の中でも、文化を守り続けた姿も知ることができる。
 破壊するのは簡単かもしれないが、守り通すということは、多くの人の努力や犠牲があってのことだ。この文化を知ることで、私たちもまた歴史の中に確かに立っていることを覚える。人は、ただの個人として偉そうに生きているのではないのだ。それなのに、自分を神にでもなったかのように横暴に振る舞い、口先で人の心や文化を叩き潰すような真似をする人が、この自由に発言できるネットのツールを用いて、やたらと多くなったように見える。ただの病的な性格であるならばまだ同情もするが、良識を自負する者が、そんなことを続け、エスカレートしていることもある。
 人々が受け継いだことを前にして、佇んでみてはどうだろう。
 キリスト教会もまた、世界のこうした歴史的遺産を幾度破壊してきたか知れない。その重みを強く覚える。いまの時代のキリスト者は、我が身の罪のみならず、こうした信仰の先人たちの罪をも背負っているとすべきなのかもしれない。
 ともかく、目の保養にもなる。美しい宝の写真を届けてくれて、ありがたいばかりである。




Takapan
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