本

『書く力』

ホンとの本

『書く力』
鷲巣力
集英社新書1138
\1100+
2022.10.

 副題に「加藤周一の名文に学ぶ」と記されている。この本はまるごと一冊、加藤周一の文集を取り上げて、そこから学ぶというものである。タイトルに「加藤周一」があっても全くおかしくないのだが、それを「書く力」ともってきたのは、加藤周一というのはひとつの前提であり、そこから、文章を書くというのはどういうことか、を示そうとしている故ではないかと思われる。
 日本の思想家として名高い加藤周一は、『世界大百科事典』の編集長を務めたほどの博学の人であるが、300冊以上の著者があり、名文家として名高い。著者はその加藤周一現代思想センターの責任者たる歩みを続けた編集者であり、誰よりも加藤周一の文章を知っている。従って、彼を批判的な眼差しで取り上げるということはしないが、そこから文章の良さたるものはそもそも何なのか、といったことを引き出して、私たちに教授してくれる。ひとつの教科書のように、読者は学べばよいというスタンスで書かれているのだと思う。
 しかし、さてこうした文章をお手本とするにしても、これを役立てるような立場にある読者というのは、どういう人たちであろうか。私のように日常的に文章を綴る者が、ふんだんにいるというわけではあるまい。ビジネスの現場で必要に駆られて文書を作成する、というタイプの人間でもないような気がする。加藤周一のように、世の中に対してひとつ距離を置き、それを斜めから、あるいは批判的な眼差しで以て記すという人が、果たしてどのくらいいるのだろうか。
 と思いきや、いまやウェブサイトにおいて自分の文章を公の場にもたらす、ということは、かつてないほどに気楽になった。思い切って自費出版をするか、壁新聞でもつくるか、というような大袈裟なことは必要ない。ただキーボードに向かって文字を打ち込んでいき、投稿ボタンを押せばよいだけのことだ。亡くなったのが2008年という加藤周一の存命時にも、そこそこ通信は家庭に届いていたであろうから、こうした新しい議論の場の浸透は、ある程度予測できたことだろう。ただ、評論家として加藤周一は、あくまでも文章を論ずるものとして用いている。批判精神を以て、世の中を見つめていたことは間違いない。
 ただ、本書はやはり加藤周一の紹介というわけではない。あくまでも「書く」とはどういうことなのかを明らかにしようとしている。加藤周一というフィールドの中で、そのフィルターを通して、明らかにしようとするのだ。
 まずは「基礎編」だが、私にとり合点がいくのは、最初の「文は短く」からいきなりだった。受験をする小中学校に作文を教える身としては、これをどれほどやかましく言ってきたことだろうか。だがこの加藤周一の評論を取り上げると、一文40字平均で推移しているなどというから、驚きである。これは明解なはずである。本人が短くしろと言っているのではない。本書の著者が、それを教えているのだ。
 続く「読点は雄弁だ」も、作文教室としてはいつも苦言していることであるが、これがなかなか分かってもらえない。「起承転結をつくる」というのは、どこかベタな気もするが、案外これを弁えないが故に、文章のキレがなく独り善がりになっている文章が、確かに多いと私は感じる。私がここで書いているものも、思いつきでただ並べているのだから、恐らくそれに該当するだろう。
 本書は後半で「実践編」と銘打って、より実際に役立つようなスローガンを掲げる。「むつかしいことをやさしく」は井上ひさしの言葉を思い起こさせる。それは「むづかしいことをやさしく やさしいことをふかく ふかいことをゆかいに」という、有名なものだ。もちろんここではそれと少し違い斬り込みではあるだろうが、政治を論じた文章から、かなり手厳しい指摘がある。
 3点に絞るべき論点についてや、比較対照の鮮やかさの必要性、具体と抽象を交互に織り交ぜて書くなど、私も日頃心がけているようなことも多々見えたが、とにかく実例がそこにあることで、本書は自然に読みながら、好例たる文章に生々しく触れることができる。こざかしい理屈はいいからただ読め、とでもいうように、なかなか気持ちよく読み進む。しかも、その評論が、決して古びることなく、いまここでも通用するような批判となっていることに、度々驚かさせる。先見の明というよりも、物事の真実を見据えていたからこそ、普遍的なものがそこにあるのだろうと思う。
 比喩の大切さ、否定することによる肯定など、言われてみればその通り、ということばかりが並んでいる実践編が終わると、最後は「応用編」で、紹介文と追悼文と書評文と鑑賞文が挙げられている。味わい深い体験を重ねることができるということで、多くの評論とそこから学ぶ文章の秘訣といったものに、生々しく触れることができた。読み終わったところで、おなかいっぱいになった気分だ。でも、ここから、私に振られたサイを手に、書き始めなければならないはずなのだ。私もまた「書く人」であるがゆえに。




Takapan
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