本

『日本の覚醒 内村鑑三によって』

ホンとの本

『日本の覚醒 内村鑑三によって』
新保祐司・富岡幸一郎
リブロポート
\1751
1993.7

 文芸評論家の目から見て、内村鑑三はどう映るのか。あるいは、論じられるのか。もとより内村鑑三は文学者ではない。だが、著述家であり思想家として見られることはありうるのだから、それを評論するという態度はあってしかるべきである。
 しかも、そこには信仰が入っている。信仰の分かる人でなければ、内村を論ずることはできない。内村が魂の内実をどのように見ていたのかを、殆ど追体験できるほどの理解を示すのでなければ、およそ論ずるということは無理であろう。
 宗教であってはならない。内村鑑三は、キリストの教えについてそのように発した。聖書と格闘し、日本の無理解な風土の中で苦しんだ内村は、それを信仰とは呼んだが、宗教であることには断固として抵抗した。この内村の弟子になった者たちは、無教会という立場を伝えていくことになる。
 ただ、その無教会主義ということについて、教会論であるとか聖書論であるとかいう角度から検討した本であるわけではない。文学とはその人のいわば一回きりの生き方をそのものとして受け止める営みである。神学でもないし、文献学でもない。内村がどういう生き方をしたのか、その信仰の人生のどこがどう時代と関わっているのか、二人の対談は迫ろうとする。もちろん、それぞれにある一定の考えがあり、それをぶつけるところにこの対談の意味はあったのだろう。だが、とりたてて対立するなどということはなく、それぞれの考えが調和しつつ、内村像を一定の態度で構築していくようなありさまである。
 江戸末期に生まれ、明治期に立ち上がった内村鑑三。それは日本において何であったのか。また、内村自身にとって日本とは何であったのか。手軽に読めなくなったその『ロマ書』が、内村の集大成のようなものだという認識の中で、パウロを中心に聖書を読む態度の力強さが語られる。京都学派などの哲学が、日本思想にキリスト教が浸透するのを阻害したなどという指摘は、異細かく説かれたわけではなかったが、うなずけるものを感じた。私もまた、その哲学に憧れ、旧い世代の愛読書にも目を通していたからである。
 ある部分は、バルトにも等しい眼差しを踏まえていると言う。日本の近代200年の中に一人の内村鑑三を得たことは、西洋がイエス後二千年に、アウグスティヌスとトマス・アクィナスとルターとカルヴァンとバルトの5人しか得られなかったことを思うと、むしろ誇りのようなものだという二人の意気投合は、内村の偉大さを伝えるに十分であった。聖人であるのではなく、その聖書への食らいつきと生き方に、現代に生きる私たちも覚え貫きたいものがあったという点を、そこに感じることができるであろう。
 文芸評論というのは、それ自身がまた文学でありうるほどに、ユニークである。このような解釈があることを知りつつ、私たちも内村鑑三に触れてみたい。そして、口先だけで愛するのではなく、身を以て生きてみたいものだと願う。まさに、私もまた、覚醒しなければならないのである。




Takapan
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