本

『一粒の柿の種』

ホンとの本

『一粒の柿の種』
渡辺政隆
岩波書店
\1890
2008.9

 科学エッセイというのは、いいものだ。読んでいて、あまり腹が立たない。なんだ偉そうに、と言いたくなることもないし、俺は意見が違うねぇ、と苛立つこともあまりない。むしろ、はぁそうなんですか、と有難く教えてもらうような気がするほどだ。
 ただ、そうしたものとして科学者が見られてよいのか、という点までもが、この科学エッセイの注目点であるのだから、洒落ている。ミッキーマウスの変遷を論ずるような本も、あまりないことだろう。手塚治虫のマンガの中に、女性の科学者が何人いるかということを正面切って論じた本も、他にはないのではないか。
 理科という教科は、実は好かれている、というのが指摘されて、面白い。しかしながら、社会生活で役に立つかという問いでは、さっさと最下位に移ってしまう。そんな点にも触れながら、科学の楽しさを文章でどんなふうに伝えられるものだろうか、と模索していく。科学そのものの楽しさを告げると同時に、科学の楽しさとは何だろうか、という問いかけを自分に投げかけ、それへの説明を試みていく。
 サブタイトルには、「サイエンスコミュニケーションの広がり」と付いている。科学という題材で、人々が考えを交わらせていくことが大切なのだと考えられている。これはよい視点であるだろう。自他の利益に関わる政治や経済の、いわば世知辛い話ではなく、もっと夢やロマンに満ちた世界が、このサイエンスである。そもそも「偉人」の伝記には科学者が多いことなど、興味深い点をも刺激してくる。
 柿の種というのは、冒頭のエッセイにも出て来る、寺田寅彦の本の題である。さらにその中の一粒に過ぎない、という謙虚さが、この本のタイトルに現れている。
 中には、スピリチュアルに対する警告もあるし、エコとは何かという問いかけも見られる。私たちは、えてして多くの場面で、自分では何も考えずに、ただ烏合の衆として、まわりに迎合して生きているに過ぎないのだ。科学は、そんなぬるま湯から抜け出す視点を、間違いなく提供してくれる。
 科学エッセイ、もっと読んでみたいものではないか。




Takapan
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