本

『「陰山学級」学力向上物語』

ホンとの本

『「陰山学級」学力向上物語』
陰山英男
PHP研究所社
\1,300
2003.8

 陰山メソッドは、すっかり有名になった。例の「百ます計算」が象徴しているが、何も、百ます計算を陰山氏が発明したわけではない。彼は兵庫県の山口小学校で、こうした手法で学力向上に抜群の成果を挙げ、そのことがマスコミに知られるようになって以来、やたら表舞台にまつりあげられてしまったというだけなのである。
 学力をつけるための知恵については、氏はこれまでも何冊かの本を著し、いくつかは大変なベストセラーとなった。塾の教師をしているのではない。小学校の教師である。学力や授業が崩壊しているとか、躾ができていないとか、マスコミがセンセーショナルに書き立てる背後で、多くの教師が、学力をつけるという、教師本来の当たり前の仕事を追究していった結果が、この現象なのである。
 この本は、陰山氏の身の上話が多く載せられている。その意味では、今すぐわが子に学力をつけるノウハウを期待して読むと、裏切られるかもしれない。ここには何のテクニックも紹介されていないし、教材の使い方が説明されているわけでもない。ただ、自分の歩んできた道を振り返っているだけのことである。
 だが私には、心に響いた。
 最初、アナウンサーを希望していたところがその道が断たれ、自暴自棄だった中で、ある意味で仕方なく教師になったところ、そこから生き方が変わったという打ち明けバナしから始まる。氏は、エリートではなかったのである。そして、子どもたちから逆に教えられ、励まされて、自分が成長していった様子が、生き生きと描かれる。
 教師という仕事は、えてしてそうである。自分が何か偉そうに生徒を導いていくのではない。自分が成長させていってもらうのだ。それはきれい事に聞こえるかもしれない。だが事実である。少なくとも、誠実に仕事をしている教師は、皆そうである。私は、親としても、子どもに教えられて親にさせてもらっているという意識があるくらいである。子どもを指導してやろうなどという思いにはなったことがない。
 陰山氏の主張の原点はこれである。学力がつくことが幸福につながる。
 ゆとり教育という名称が誤って、学習しなくてもよい、いや、してはならない、という意味で始まった。学力不足の子が気の毒だから、どの子でもついていける内容に制限しよう、というのである。しかしそれは方向を完全に間違えているという。ゆとりというのは、物事が多く理解できるようになり、自分もやればできる、という思いで生きていける子どもの中でこそ生まれるものなのだ。目的の中で生じるゆとりを、手段におけるゆとりと勘違いしてしまったのが、文部科学省の誤りである。
 勉強が分からないとどうなるか。子どもは面白くなくなる。だから荒れていく。この悪循環こそが深刻なのだ、と陰山氏は言う。勉強ができるようになったら、生活面での問題も消失していく傾向にあるのだ。分からないから、できないから、学校が面白くなくなっていくのだ。勉強が分かるようになったら、勉強が、そして授業が面白くなる。そんな子は、荒れたり引きこもったりする方向には走らなくなるのである。陰山氏は、だから、学力をつけてやることが、幸福につながると信じている。それで、子どもが子ども自身の可能性をどんどん現実にして、希望をもつ生き方を実行できるために、模索してきたのである。
 2003年より、氏は、広島の小学校の校長となった。14年勤めて一応の成果を出した小学校を去っていくことがどんなに辛かったかも、この本に記してある。校長という立場で現場を離れることへの不安も告白している。だが、避けられない道があってもただ黙って歩くがいい、という詩に触れて、歩き始める。
 学習方法のテクニックもいい。だが、こうした原点を明らかにしてくれる本は、もっといい。ちょうど、人に役立つことをするにはどうしたらよいか、というテクニックを云々するよりも、まず聖書を読んでいくことのほうが、よほどそのためには有効であるのと同様である。




Takapan
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