本

『「科学にすがるな!」宇宙と死をめぐる特別授業』

ホンとの本

『「科学にすがるな!」宇宙と死をめぐる特別授業』
佐藤文隆・艸場よしみ
岩波書店
\1800+
2013.1.

 発行十年後に、岩波現代文庫という形で出版された。私はその予告を見て、元の方を探した。ひねくれ者である。新版には新たな解説が加えられているようだが、佐藤文隆の「あとがき」で終わる本書でも十分ではないかと思われる。
 第一、装丁がいい。宇宙をモチーフとするかのような、薄いブルーの模様が頁の上下に飾り罫の如く置かれている。いいムードだと感じた。若干値が張るようだが、中古本で探せば比較的良い状態のものも、より安価に入手可能なようだ。
 宇宙物理学と読んでよいのか、理論物理と言わねばならないのか分からないが、その道での発言力のある佐藤教授に、ライターの艸場よしみさんがインタビューを挑んだ様子のレポートである。サブタイトルに「授業」とあるように、基本的に佐藤教授が教える。が、それは生徒の側の質問に応じているわけで、教授が一方的に語るというスタイルではない。生徒の無茶ぶりにも、確固としたスタンスで、動ずることなく信念の答えを返すという形をとっている。
 京大出身で名誉教授として、京都を訪れる教授を、京都在住のライターが、京大前の進々堂に迎える。自分の問題意識を遠慮なくぶつけ、その都度また宿題をぶつけられては考えて、またそこで会う、ということを繰り返す。どうでもよいことだが、いま進々堂のウェブサイトを開くと、昔私の知っている風景とはずいぶん異なる光景が映る。当たり前だが、都会的になったものだ。
 本書は、ひたすらこのライターの視点で描かれていく。会話はカギ括弧に置かれているが、内心何を思っていたか、ということについては専らライターの言葉である。ひたすら教えられたことをそこに置いては、こちら側の内面をも呟くように並べていく。読者もまた、ライターと共に授業を受けているような気分になる。もちろん、それはライターと同じような問題意識をもち、同じようにそれなりに学びが進んで行くという前提に基づくものであろう。だから、私は非常に興味深く同席することができた。
 教授は「肩寄せ合ってけなげに生きる」などというように、人間のあるべき姿をしばしば口走る。物理ならば数学という言語で表現するのだろうが、人生論となればそうはいかない。なんとか言葉にしようともがきながらも、ぼそっと出てくる詩的な表現が、後々謎解きに貢献することになる。こうしたところは、ライターの腕の見せどころである。十分伏線をばらまいておき、必要な謎として投げかけておき、最後にはそれらを回収する。読み物として如何に読者の心をワクワクさせることができるか、そこは流石だと感じた。
 だから、これは読み物である。宇宙と死についての解答を得たい、というような姿勢で手に取るものではない。その辺りを含め、すっかり勘違いしたままに、自分の思い込みから感情的な書評を販売サイトに載せている人がいたが、激しい思い込みで歪んだ読み方をして酷評するのは、的外れである。本書は、楽しんで読むべき本である。ただ、物理学者という、科学の粋を尽くしたような人が、科学とは原理的にどういうものであるのか、また、科学はいまの時代という現場においてどうするべきなのか、といった視点を提供してくれる意味は大きい。特に後者については、終わりがけに立て続けに明らかにされるので、読者は自らがそこに巻き込まれたことをはっきり意識し、問題として自らに問わねばならないことになるだろう。そうしなければならないのだ。
 議論の細かな点をご紹介する気にはなれない。宗教へ飛んでしまわない、冷静な科学の眼差しは、宗教者こそ学んで戴きたいと思う、意義深いものであった。
 特にこの取材は、東日本大震災を経験して、大きな進展を見せることとなる。科学に何ができるのか、誰もが問い直さなければならない事態となったのだ。科学者のすべてが同じ動機であるのかは分からないが、知的な喜びからの探究という側面がきっとあり、それは、単に科学は価値中立的であるが、利用する者の善悪に左右される、といった「ありがち」な問題ではない、ということを伝えてくる。科学を利用するのは一部の悪人であるのではない。私たち皆がそうである。私たち皆が関わっているに違いないのである。その中で、科学というものが、一定の限界の内で、その都度人間がつくっていくものである、という点を弁えていく必要は、宗教もまたよく心得ておかなければ、間違いなく失敗するのだ、と私は感じている。
 本書に人生論を求めたり、きっぱりとした説明や結論を期待するということは、基本的に誰もしないであろう。それをすると、先の勘違いの人のようになる。だが、本書から人生論が始まり、自分なりの結論へ向けての歩みを始めることができるようになる、ということは、たぶん期待してよいのだろうと思われる。せっかく出会った本であり、ある程度の時間を費やしてつきあった物語である。役立てたいではないか。
 ありきたりのことが言われている部分もあるが、私はそれでよいとも思う。しかし、何らかの根拠のある「ありきたり」は、何も思索しないものとは確実に異なる。本書は、あなたに思索の機会をもたらしてくれることだろう。少しばかり、物理学の世界が見ているものを覗き込みながら。




Takapan
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