本

『人間にとって科学とは何か』

ホンとの本

『人間にとって科学とは何か』
村上陽一郎
新潮選書
\1100+
2010.6.

 久しぶりに村上陽一郎氏の本を開いた。といっても、発行から十年も経ってのことであるから、科学の情況は執筆当時とは異なる可能性があることは承知の上だった。それでも、本質を突いた議論は、表向きの科学や技術の発展とは関わりなく、的を射ていると見越してのことであり、事実私たちにとり考えるべきテーマは同様に継続していることは間違いなかった。
 科学思想や科学哲学という点で大切なオピニオンリーダーであると共に、キリスト者としての深い世界観が私にとり信頼感を与える人である。
 科学史を改めて辿るというようなことはせず、そもそもその「科学」という私たちが当然のことのように見なしているものが、非常に新しい見方であるということを読者に突きつけることから始める。そう、「科学」を私たちは古代の思想にも当てはめて分かったような気がするが、この「科学」という言葉自体、実に新しい見解の元にこそ成り立つものなのである。そもそも「学」とか「知」とかを表す語が、いま「科学」と訳すというようなことからもそれは窺えるであろう。まして、日本がそれを輸入したとき、西洋のものとはまた違う背景の中に取り入れたが故に、「技術」につながるものとして目に映ったとしても、おかしくはない。これが日本における科学館に影響を与えているのは確かであろう。
 しかしもはや科学は、地球を破壊することも可能なほど巨大化してしまった。かつて民族や帝国のために戦争をしていたのとは格段に違う結果をもたらす力を人類は得てしまったのであるが、その人類の精神的な側面がそれほどの発展をしているかどうかは極めて怪しい。ここに科学の含有する危機の要素が確実にある。
 著者はまた、医学という面にも目を向けるが、病について、肉体の損傷について、試行錯誤の中で知識が明らかになったのはいいとして、医療者と患者との間に、患者が知識を得るとはどういうことか、またその関係はどうあるべきかについては、流動的な情況があると言わざるをえなくなっている。ここにもまた、考慮していかねばならない道がある。
 このように本書は、科学の様々な側面から眺めていくのであって、必ずしもこの順序で読まねばならないという雰囲気ではないのだが、ほかにも私たちが考えていかねばならない話題が満載である。科学者と政治の問題はその中でも最も大きな影響を与える問題であろう。科学者は果たして科学だけをしていてよいのか。ある意味で、世の中の利益や有用性などとは関係なく、学的興味で世界の「なぜ」に応えたいという使命を受けて、探究することは大切である。子どもの探究が時折報道で知らされるが、それは偶々その子どもの興味が科学的な手法で調べられて、謎を解く光を投げかけてくれたからであって、その子は産業のために役立つことを心がけていたわけではない。しかし特に日本の大学における科学研究は、しばしば目的が先行し、また産業に貢献するものが喜ばれ、援助され、そうでもない理学的なものはお遊びのようにすら見なされている。これは大学のあり方を大きく変えようとしている。村上氏は、大学をいっそ教養のための広い見聞を必要とする方針に転換し、あまりにも専門的な視野だけに陥ることを語る回避すべきではないかと提言している。つまり、科学者が自分の興味に没頭するだけではいけないというのである。社会的な視野を十分に理解し、その科学が何かしら絶大な危機をもたらすように利用されるかもしれないという点に気づき、それに抵抗し、社会と世界のために科学がどうあるべきかについても常に考えをもっておかねばならない者としての役割を果たすことができるようにすべきだというのである。もちろん大学の運営についてはまた別の人の追究をも重ねて見ていきたいものだとは思うが、それでも科学者が、御用役人のようになっていくことへの懸念は、この本でも考察するに十分な材料を与えてくれているのではないかと感じる。
 私たちの命、社会的な安全などについて、科学が果たす功績は大きい。それらを目的として研究がなされるのは大いに結構である。しかし、本書が後半で触れている「パブリック」という概念が、実はたんなる政府や権力者のためという前提で用いられているとするならば、そこに気づき、見張る姿勢が私たち一人ひとりに必要なのではないかと思われる。その意味での広い「知」が求められるのだと著者は訴える。それは、自分を知ること、他者や世界を知ることでもあり、いま私たちが狭く捉えている「科学」なるものだけでなく、あらゆる「知」を弁えて、その中に位置付けられる「科学」を考えていかねばならないとするのである。「科学」に、そしてそれを操る「政治」などに、人間全体が振り回され、挙げ句は滅亡に暴走するようなことがないために。




Takapan
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