本

『科学革命』

ホンとの本

『科学革命』
ローレンス・M・プリンチペ
菅谷暁・山田俊弘訳
丸善出版
\1000+
2014.8.

 丸善で見かけて、評判がよさそうなのを感じて購入。新書版なのでやや高価な部類かとも思われたが、内容に関心もあったし、ぱらぱら見たところ、著作方針に同意できるものがあったので、買い求めてみた。
 本書は、科学というものが成立する黎明期とも言える、1500年から1700年あたりのヨーロッパ世界の文明を案内するものである。科学とは何であったのか、現代の私たちが考える意義は大きい。生まれ落ちてその科学の恩恵に与っている私たちは、私たちの考え自体がこの科学の支配下で形作られている。私たちが科学を肯定するにしろ否定するにしろ、自分たちのその判断自体、科学の影響の下にあるために、そもそも科学とは何であるかの認識に対して弱点をもっていると言わざるをえない。たとえば私たちは、科学と宗教とを対立させて考える習性をもっている。しかし、この発生時期において、科学は宗教と対立するものではなかった。宗教的動機から科学が生まれたと言ってもよい。そのあたりをきちんと描いている様子が窺えたので、購入したというわけである。
 ガリレイの宗教裁判についても、通り一遍の理解しかしていないと、ますます科学と宗教との対比を明確にし、また宗教はけしからんというだけの意見しか持ち得ないようになってしまうが、その裁判についても、簡潔にではあるが、実情を当時の感覚で私たちに伝えてくれる。
 そう、本書は記述が簡潔であるのが特徴だ。小難しい理屈を弁明めいて長々と展開することはないし、もっと細かなことはどうぞ自分で関心をもって調べてくれと言わんばかりに、さららさとあっさりと記述していく。確かにこれは、教科書のようだ。概観するにはもってこいである。それでいて、肝腎の話題については、誤解されないように、丁寧に説明していくから、私たちの常識を揺るがすところなどは、特にはっきりと伝えようとする意図が感じられる。
 いま私たちは、科学的でないと一蹴するような魔術的な考えが、元来の科学の重要な視点であったこと、これを指摘する本は多い。だがここでは、私たちも魔術と同じ程度の理解を以て、科学に向き合っている点があるではないか、と私たち自身の捉え方を反省させる力をもっているのが優れていると私は思った。最新の科学理論であれ、どこかでそれを「信仰」しているという意味で捉えていることを否むことはできないというのだ。その具体例は、実際に本書と出会って体験して戴きたい。
 もちろん、現代科学を貶めるようなことをしているわけではない。現代科学が絶対視されるようなことを避けながら、こうしたかつての科学革命の考え方のうち、どういうことを排斥し、どういう点を受け継いでいるのか、それを考え直すところに真骨頂があるような気がする。特に、世界に意味や目的を見出すことと関連させていたかつての科学の姿が、現代では皆無となっていること、世界の意味や目的を問うことから完全に切り離されてしまった状態であることに気づくことが大切であると訴えているように感じた。それを、私たちが「貧しくなった」と著者は評しているが、私からすれば、その上に「危険性を孕んでいる」と捉えたいと思う。
 何かしら尤もらしい目的を掲げて、そのために科学を用いるというような、政治的な発言に、私たちはうっかり身を投じてしまいそうではないか。核兵器という道具を、平和的に利用するとか、防衛するのは当然だとかいう「意味」を、さも当然のものとして受け容れて、人類の運命をそうした無責任なイデオロギーに委ねてしまっているのではないか。現代の科学はもはや意味や目的という秩序の中でコントロールされていないから、それを奪い取ろうとし支配しようとする思想が、絶大な権力をもつことになる。そう考えると、ひとつの選挙や私たちが形成する世論というものが、未来を担っているということがよく分かるかもしれない。
 歴史の中の科学を見直すことが、いまそしてこれからの私たちの運命を変える、そんなことがあるものだ。本書は私たちの意識を変える力をもっている。




Takapan
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