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『科学・技術と社会』

ホンとの本

『科学・技術と社会』
村上陽一郎
光村教育図書
/\1600+
1999.1.

 ICU選書である。先日『聖書を読むたのしみ』をご紹介したところである。リベラル・アーツがどうとかいう前に、細分化されて身動きがとれなくなった学問の世界を、広く見渡しつなぐような視点が必要だと考えておきたい。かつてはそれを哲学と呼んだが、さて、哲学がその役割を果たしているか。哲学にも様々あるわけだ。
 村上陽一郎氏といえば、科学論については定評のある人である。科学哲学や科学史といった分野の肩書きをもつと言えるだろう。そして、カトリック信徒であり、聖書をバックボーンにもつ、落ち着いた論調をもつ。国際基督教大学にもしばらく在籍していたということで、この選書の一員として腕を揮うこととなったのであろう。
 タイトルに不自然な「・」がある、と思った方もいらっしゃるだろう。通常「科学技術」と表記するのに、ここではわざわざ「科学・技術」と中点を打っている。もちろん、ここにひとつの大きな主張が潜んでいる。そのことは、本書の初めに述べられている。科学と技術が、二つのものでありながら渾然一体となって一つになっているのが「科学技術」であろう。これは、英語表記と比較されていて、なかなか濃い議論になっている。しかし、安易に一つと見てよいのかどうかは、反省しなければならない。「and」で区切られているからこそ、一体化が避けられているのだとすれば、漢語の効果は、区別を無視してないまぜに思いなしてしまうかもしれないのである。
 科学の歴史は、神学や哲学の歴史を見ることにもなる。しかし技術は、産業革命の影響がやはり大きい。それは、マンハッタン計画の中で、巨大な兵器を生み出すようにもなってしまった。科学史の専門家であるからには、その細かな内実を、読者に分かりやすく提示してくれ、大学の講義の内容としてもきっとこのように語っていたのだろうと思わせるような、歯切れのよい叙述が続いていく。大学初級の講義としてのまとまりもあれば、実社会や科学政策への批判もそこにはある。
 学生向けの叙述としていは、やはり言い回しが易しい。同じことを繰り返し述べているし、その説明が非常に分かりやすいものであるとなると、書物としては教科書のような役回りを担うことになるであろうが、本書のようなスタンスとしては、それで十分である。むしろそのようにして、読者に確かな眼差しがもてるように育むことが主眼であるとも言えるのであるから、こうした問題の初心者でも、安心して開いて読まれたらよいだろうと思う。
 日本社会独特の問題、とくに行政のあり方に対しても、厳しい眼差しが向けられる。一般的な科学史の本だと、ここのところにはあまり触れられないのではないか。しかし正にいまこの国における、科学行政の問題は、古代の科学史を探究するよりも、もっと切実なのではないだろうか。それは日本や世界を動かすかもしれない。事の次第によっては、世界の破滅へと導く契機となるかもしれない。重大な決定が、安易な経済的理由や、無知による思い込みからなされていくかもしれない現状に対して、読者が、つまり一般市民が、しっかり見張っているということが、なんとしても大切なのだ、という考えが伝わってくる。
 本書の要は、まさにそのことなのである。市民が科学と技術の問題を、社会の問題として意識し、難しい数式による理解ではなく、社会的な意味、未来的な視野の中で、考えるこみとが、何より大切なのである。
 私が読んだは2023年であった。もう四半世紀を経ようとしての読書であったが、決して中身が古びていると感じることはなかった。このとき、省庁改革や大学のあり方の変革が進行形であった。その後の時代を知る者としても、決して的外れではない見解を、本書は次々と繰りだしてくるのだった。
 学生の現状は、少しばかり変わってきたかもしれない。というより、大学というところが、この四半世紀に大きな変化の波を受けている。それは良い意味であれば、本書などが方向付けようとしている、文理の統合や学問一般への広い視野といった向きへの提言が、いくらかでも活かされてきているという変化である。村上氏ひとりの提言ではないはずだが、本書が意見を述べている、そのスピリットはいくらかでも指針を示すのに役立っているのではないか、という気がしてならない。
 後半では、倫理という領域からの考察、医療と医学研究のあり方、情報や産業、また環境問題などの問題に触れられている。そのどれもが、四半世紀後に満足する解決を得られたとは言えないものばかりである。国際会議や欧米の実情をよく知る著者であるから、日本から見えるのとはまた違った景色を見、未来を絶えず見通そうと努めていた、ということなのかもしれない。
 すぐに役立つという意味で、役立つものを生み出せ、という意味を含ませた中で、大学や研究の予算が決められているのが、その後の日本の政治と科学とのつながりの実情である。文系は痩せ細り、世の中の役に立たないと嘲笑される傾向にある。それがとんでもない誤りであるということも、一部で声が挙がっている。本書はその点を議論するつもりではないのだが、その声にとっての根拠や論理を担うという意味では、大いに参与してくるものであろうと思われる。何が問題なのか。何を見なければならないのか。そのためのヒントを、易しい言葉の並びの中から、熱い心で以て伝えようとしてくる、そのような命ある議論が溢れている。抽象哲学的な深まりはないが、実際的で、きわめて現実的な問題点を弁えるには、もってこいではないだろうか。このシリーズが、私の目には4冊ほどしか見かけられないのは、もったいない気もする。このようなコンセプトから、この選書、発展させていくことは、もうできないのだろうか。




Takapan
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