『重力と恩寵』
シモーヌ・ヴェイユ
冨原眞弓訳
岩波文庫
\1130+
2017.3.
シモーヌ・ヴェイユの傑作でもあるだろう。まとまった論文ではない。生前は様々な政治的思想を寄稿していたが、友人のティボンが、雑記帳に書かれていたヴェイユの言葉を編集して戦後間もなく出版したのが本書である。それはパスカルの『パンセ』にも匹敵する作品となった。無名だったヴェイユは、本書により広く世に知られるようになった。
第二次世界大戦の最中、34歳の若さで没した哲学者である。女性の哲学者として名が挙げられるときには、きっと思い起こされる一人であろう。栄養失調と肺結核とで命を失ったが、最期は食事を絶つことで自ら命を絶ったのではないか、とも言われている。
「恩寵」というのは、キリスト教の神による恵みというようなことで、カトリックでは特にこのような語で強調される。ヴェイユは、最後はこのようにキリスト教の、しかも神秘主義とも言える世界にいたのではないか、と言われる。必ずしもここにあるのは、伝統的なキリスト教の教義に基づくものではない。だが、だからこそ、自身に与えられた神からのメッセージと真摯に向き合ったのだろう、とも思われる。彼女自身の言葉で、出会った神の言葉を受け止め、そこから自分に与えられたものを返しているように見える。確かにその姿勢は、パスカルの場合と似ているようにも思われる。
では「重力」とは何か。それはいわば自然に下へ向かうものである。ひとが何も意識しなくてもそう動いてしまう方向をもたらす力であり、いわば「世」と聖書が呼ぶものをダイナミックに表現したと言えるかもしれない。すると「恩寵」は、その逆の動きをもたらす力である。確かにそれは神からの力であり、それは、落ちこんでいこうとする人間の魂を、上へ引き揚げてくれるものである。
本人の編集ではないため、他人の解釈により並べられている。私たちはここに並んだ言葉を、どのように受け止めてよいかは分からない。おそらく一人ひとりが、自分の問題として受け止めてゆけばよいのだろうと思う。だが、それなりにまとまりを以て編集されているのは確かだ。ここにあるのは、項目毎、つまり内容に沿って集められているものである。
タイトルの概念に続いて、「真空」という概念も登場する。歪めてはならないが、私たち日本人が「自分を無にする」という感覚に近いかもしれない。神の恩寵は、そこへ流れ込んでくるだろう。ヴェイユはこうして、神秘主義ながらも強い「信仰」を軸に自分が支えられていることを自覚する。必ずしも、キリスト教一般で言われるような「自分に死ぬ」というような言い方とは異なるが、懸命に思索した末の到達点である。もし彼女がその後長い人生を送っていたら、それがどのように変化したのか、それも見てみたかった気がする。
こうして次々と繰り出される独特の概念の捉え方が、項目として居並ぶ。何かしら読者が気にしている事柄があったら、この目次を見渡してみるといい。そこにその言葉、あるいは関連する言葉が見られたら、そこだけに注目して見渡すのだ。数頁しかないのではあるが、ゆっくり味わうと、メディテーションを経験できるのではないかと思われる。
本書の特筆すべき点は、その豊かな「訳註」である。本編が300頁であるのに対して、訳註だけで120頁ある。ヴェイユの思想を理解するために必要だというのはもちろんだが、そのとき、ヴェイユが、聖書のみならず、ギリシア神話に深い知識をもっていることや、当時自身が愛読していた本や、社会的に知られていた思想家から影響を受けていたことがよく伝わってくる。プラトンやスピノザの思想から、その一部ではあるにしても、強い影響を受けていたこともよく伝わってくる。このものすごい訳註だけでも、この岩波文庫を手にする価値はあるだろうと思う。
教師としての彼女、汗まみれの機械のようになった労働者としての彼女、スペインの内戦の中にいた彼女、世界大戦においてロンドンに逃れていた彼女、そうした中で政治的な意見をささやかに発信していた彼女。無名なままに没したこの思想家の生き方に、私はある意味で親しみを覚えるのだが、ヴェイユよりはお気楽な暮らしをだらだらと続けている自分が、ちょっと恥ずかしく感じられてくることを、否むことはできない。

た
か
ぱ
ん
ワ
イ
ド