本

『巡礼者たち』

ホンとの本

『巡礼者たち』
エリザベス・ギルバート
岩本正恵訳
新潮文庫
\590+
2005.2.

 小川洋子さんのお薦めの本ということで、手に入れた。それもなんとなく分かるような気がした。ここにあるのは短編集。最初の短編集なのだというが、魅力たっぷりであった。
 小説という作品をご紹介するにあたり、ストーリーを明かしてしまうことは厳に慎むべきものと理解している。だから、この本の魅力を伝えようという思いで、少しばかり触れてみることにする。
 最初は本のタイトルの「巡礼者たち」。しかし、宗教的なものは全くない。牧場主の父親が、若い女を雇った。息子の俺たちは、そんなことができるのかと嘲笑う。だが、やってきた19歳のマーサという女は、なかなか迫力があった。認め合うようになるが、どうにもここにある小説に登場する人々は、アメリカの中の田舎で、少々柄の悪い面々である。道徳的にどうなんだよ、と言いたくなるような連中ばかりである。俺とマーサも、とんでもない行動に出る。どこが巡礼者たちなのだと言いたくもなるが、それは訳者が最後に説明しているように、新たな土地を目指す人を表す語でもあった。無計画で衝動的で、まともに考えればやっていけないようなことでも、まずはやってみる。そこには挫折もあるだろうが、恰も人生の一部をただそこに切り取ったような、非完結性に満ちた作品、とでも言えばよいだろうか。
 そう、その辺りが小川作品と共鳴するところなのだ。物語の結末を決めてそこへ集約させていこうとすることはありえない、と語る小川洋子さんに似合った傾向がここにもある。いや、それよりもさらに行き当たりばったりであるようでもある。しかし、人物の素朴な性格が、場面を次々と展開させ、どうなるんだよという方向にすっ飛んでいくのが面白い。オチを求めるのではなくて、人生の一部を垣間見せるだけのような、しかし確実にそれを見せてくれる、飾らない生の人間の息吹がここにある。
 実に非道徳的な人間たちが居並ぶし、いくらアメリカでもそこまでやるのかといったような景色を見せてくれるけれども、だからこそのリアリティというものが伝わってくる。作者もまた、各地でいろいろな体験をして、こうした描写ができるような技術を養ったのだろう。しかしこのハチャメチャなような人間像が、たぶん人間を描くにあたり、最も自然で、当然であるのかもしれないという気もしてくる。それがアメリカなのだろう。
 人殺しも出てくるし、その家族の悩みもあるが、概してあっさりしている。妙な世間の柵もなく、一人ひとりがぽつんと置かれてけっこうクールに振舞っている。もちろん信仰などというものがそこに絡むようなこともなく、自由に飄々と生きている感じだ。
 文体は、軽快でテンポがいい。細かな描写もちゃんとあるのだが、概ねあっさりと綴られていく。細かな情感を匂わせるようなところもなく、書いてあるままだということで、よけいなことを考えずにさらさらと読める。そのテンポはギャロップ的な馬の駆け足のようにも感じられるが、最後の話では驚くことに、一行で43年が過ぎてしまった。しかしそれで、記すべきこと、描くべきことは、漏らさず書かれている。下手に間をねちねちと読ませて、それだけのオチなのかよというような長編を読むよりは、実に気持ちがよい。
 心に刻まれる理由を探していたが、それは、一人ひとりの人物が、かなり具体的に示されていることだ。年齢も気質も、誤解なく読者の前にちゃんと見せつけられているから、不思議なことに、その人物をよく知っているような気持ちになってくる。否、知っているというありかたで次々と行を読み進んでいくことができるのだ。これはまるで魔法のようだ。
 私はえてして、これはどんな人なのか、よく分からんぞという思いで読むから、名前も心に入ってこないし、人物像もぼやけた印象で小説を読むことが多い。私の読み方が下手なのだろうとばかり思っていたが、本書に触れて、どうやらそうでもないかもしれない、と明るい光が射してきたような気がした。この短編集に出てくる一人ひとりは、わたしの中でクリアに見えるのだ。会話だらけで速いテンポではあっても、殆ど誤解なく、短い舞台の場面をしっかり見たような気になっていられるのだ。
 個人的な好みではあるが、私は「デニー・ブラウン(十五歳)の知らなかったこと」にときめいた。こいつ、カッコいいじゃないか、と惚れた。そして、こればかりは、伏線の回収を初め、構成が美しく、清々しく読み終えることができたと思えた。なんとなく不安なままに人生を切り取るというのも魅力があるが、やはり私には、一つの安心できる、しかも余韻を与える、そんな終わり方が好みなのだろう、というふうに思ったのであった。




Takapan
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