本

『いまどきの「常識」』

ホンとの本

『いまどきの「常識」』
香山リカ
岩波新書969
\735
2005.9

 大学教授でもあり、精神科医でもある著者は、テレビ画面でも時折お会いする。不思議な名前をおつけだが、語ることはきっちり筋を通そうとする。それなのに、勢いにおされてやはり言えなくなる時があるのだ、ということを、この本で初めて知る。考えてみれば、誰しもそういう気持ちになるはずだ。
 それはともかく、私はこの本を読み、自分と同じ角度で物事を見つめているのだという確信を持った。
 著者は、精神医学の立場から分析を行う。だから、私とはスタンスも違うはずなのだが、言論についての危うさと、人々の心の向きがどうもおかしいのではないか、という視点は、私の見ている方から見れば、全くその通りだとしてうなずくことができる。
 こんなにも、視座の共通点を覚える著者は、そう多くない。
 まるで、「たかぱんワイド」の頁を見るかのように、ここではそれぞれが短く、一つ一つのスローガンについての疑問を呈していく。
 自分は正義であることを確認したいがために、他者を馬鹿呼ばわりする。
 現実として立てられたものには従うしかない。仕方がない。
 男らしく女らしくというのが日本の伝統である。
 すべては「自己責任」の結果である。
 B型人間は自己中心である。
 過去にこだわるな。「平和」や「反戦」にとらわれるのは頭が古い。
 こうした、30の「常識」に対して、次々と疑問を投げかけていく活躍には、読者の方が心躍るかもしれない。いや、読者こそ、ここで疑問に晒されている、問題の考え方の持ち主であるかもしれない。
 精神医学的見地から、その心理的メカニズムが紹介されると、私なんぞは、やっぱりね、と思う。私は、信仰的立場あるいはときに哲学的な視点から、物事を理解しようとしている。それでも、同じように誠実に物事に対して考えを巡らすならば、同じような見え方をすることのできる人が、いるものだと、心強く感じる。
 読むと溜飲が下がる――とは言いづらいところもある。各章の末尾は、たいてい、疑問形式の分で終わっているところからしても、すべての主張を結局は疑問形の文で呈さなければならないほどに、この国の言論は、どこかおかしいのであろうか。もやもやとした感覚が残ってしまうものである。同じ危惧を抱く者として、陰鬱にならないこともない。
 偽造と隠蔽は、この国のどの分野にもある。教育や行政にも確実にある。それをおかしいと感じることのない精神もまた、そこかしこに見られる。そして、誠実な人は、自分にはそのようなことがないにしても、これは自分にも当てはまることだ、と反省すらするものである。当の隠蔽者は、こうした自分の誠実な心理にさえも、蓋をして隠蔽しようとする。
 この国を取り巻く得体の知れないものに、蝕まれていく精神に気づいていくのでなければ、この国は危ない。それは、罪を蔑ろにしている――著者の言葉を使えば「判断停止」している――ところに、ある。責を引き受けて、地に足をつけて立つ者は、そうではないが、責任を避け、自分の中の罪から眼を背けがちな人々は、自分がこの国をとんでもない航海に出発させていることをも、自分のせいではない、と言い張ることだろう。
こうした先が見えてしまう人の声も、そうした大勢の心には、伝わらないのが実状であるのが、また切ない。




Takapan
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