本

『自由からの逃走』

ホンとの本

『自由からの逃走』
エーリッヒ・フロム
日高六郎訳
東京創元社
\1700+
1951.12.

 一応入手したのは、2005年の113版、すでに1965年に新版となってからのものである。これほどに版を重ねているということは、それだけそのまま読まれ続けているということであり、そうした価値を認められ、ニーズがあってこそのことである。
 古典的名作とも言われながら、そして誰しもがその書名や意義を理解していながら、ほんとうにこれを全部読んだという人がどれほどいるのか、私は知らない。たぶん多くの人が読んでいるのだろうが、私はあいにく、書名だけの部類であった。それを、機会があって手にしたので、さあ読んでみようということになった。
 緻密な論理というか、実に細かなところまで指摘し、分量の多い著作となっている。これは訳すのも大変だが、読むのにも一苦労だ。文字量で本の値うちは決まらないが、これだけの頁でこの価格はむしろ安いと言わざるをえない。
 フロムは心理学を専門としているが、思想の成立にもたいへんな知識を有しており、人類の歴史の中で、そこに生きた人がどういう心理でその歴史を選んできたのかが物語のように描かれている。しかし、現代人に縁のない古代の研究をしようというのではない。あくまでもいまここにある私たちにつながりのあるもの、私たちの思想の背景となっているといえるところからスタートする。それは、ルネッサンス並びに宗教改革である。その変化がどうであったかとを記すためにのみ、中世の人の考え方が述べられている。私たちはこれを忘れがちである。現代的視点から、中世の人は遅れているとか迷信の中にいるとか断じがちであるが、事実はそうでない。それ相応の思考の枠組みや社会常識があって、違うパースペクティヴの中でひとは人生を生きていたのである。それと比較した上での近代人の考えの枠組みが提供される。
 その根底を支えるのが「自由」の概念であるとフロムは捉える。カントの自由論を考えたことのある私には、ここで述べられていることはすんなり理解できる。こうやって用いられると、哲学者カントの意義が歴史の中に確かにあったものだとよく分かる。しかしフロムはそれを形而上学的に規定しようとするのではない。人間がそれをどう捉えたか、それはどのような心理をもたらし、あるいはどのような心理によって理解されたかを明らかにしようとする。
 それは、ニーチェの指摘した自由観にも似る。ひとは、いざ自由が与えられると、却って不安になるのである。自由の深淵というか、すべての責任が自分の選びに及ぼされることになると、どうしてよいか不安になり、また絶望さえ抱くことになりかねない。いっそのこと、これだ、と権威あるものが決めてくれたほうが、実は精神的には楽なのである。ひとは、自由から逃れようとしている。これがこの本の題であり、テーマである。
 そしてそこへ、この本の真骨頂が現れる。ナチズムである。どうしてナチズムが人心を奪っていったのか。ドイツ国民を右へ倣えで変えて揃えてしまったのか。フロムはそこに危険を感じている。
 いまの私たちから見れば、その指摘は当たり前であると思うことだろう。しかしこの本が出版されたのは、1941年なのである。ヒトラーが現にドイツを掌握しており、第二次世界大戦が始まっているのである。フロム自身は、ユダヤ人としてドイツに生まれている。ナチス政権成立後、スイスに逃れ、アメリカに渡っている。もちろんドイツで出版したのではないにせよ、ヒトラー全盛のような時代に、正面からこれを批判する理論をぶちまけている。これは英米側にとっても、ヒトラーの理解のために役立ったことだろう。まだヒトラーの結末が出ていないところに、はっきりとその結末を告げている。その勇気とともに、慧眼には敬服せざるをえない。
 さて、こうして第三帝国は滅びた。これでフロムの役割は終わったのだろうか。私はそうは思わない。この、自由からの逃走の精神は、いまもなお生きている。いつまたあのときと同じような雪崩現象が起きないとも限らないと見ている。ひとの本性はそう簡単に変わるわけではないし、いまもなお自由が最重要のように見られているが、その自由からの逃走に関する傾向や危険性を、人類は決してまだ克服していない。いつまた、第二のヒトラーが現れ、それになびいていくか知れないと考えている。実際、それは西欧でないところでまず始まっている。ひとつの思想に洗脳されるかのように染め上げられ、命すら惜しまずそのイデオロギーに従う。あるいは、自由はむしろ制限してもよいから、とでも言いたげに何かの看板を守ろうと躍起になるのは、他の国のことではない。
 いま、この本は新たにじっくりと腰を据えて読まれなければならないのではないだろうか。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります