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『憎み続ける苦しみから人生を取り戻した人々の物語』

ホンとの本

『憎み続ける苦しみから人生を取り戻した人々の物語』
ヨハン・クリストファー・アーノルド
吉枝恵訳
いのちのことば社フォレストブックス
\1500+
2002.12.

 実に重苦しい。我が子を殺した犯人を赦せとでも言うかのような書き出しである。虐待されて育った子が親を赦すにはどんな実例があるのか。親友に裏切られ憎まれ、財産を失うことになったのに、こちらから謝るとはどういうことなのか。
 その他、人生の不幸を集めたように、この本はあらゆる酷い実話に溢れている。
 だが、赦したその時、ここに証言する人々は、解放されたことを感じている。それがタイトルの「人生を取り戻す」ということである。憎むのは自然な感情であり、そのような状況に置かれたら誰だって相手を憎むだろう。しかし、著者はカウンセリングをする中で、当人の心を開くことに長い時間をかけつつも成功する。その事例が収められているのだ。
 私たちも、身近に「赦せない」と思うことはある。実に日々目の前に見える人に対して、そのような感情を抱いていることすらあるのだ。しかし、私の場合は、自分がどれほどの損害や辛酸を味わったかというと、この本を読んでいくと、まちがいなくそれがちゃちなものでしかないことに気づかされる。
 不思議なもので、自分よりも不幸な人を知ると、自分の不幸がそれほどのものとは思えなくなるということがある。それを安易にまた他人に強要することなどはできないが、自分としては、まだ自分はましだと少し落ち着くことは事実あるものである。ただ、その効果だけで本書は薦めることはできない。不幸の列伝を見るから自分が幸福になれるというわけでもないのである。
 神はね……とすぐに切り札を持ち出すようなことも、著者はしない。寄り添うという言葉が安易に使われるようになって久しいが、それの本当の意味はこういうところにしかないような気がする。ここには確かに聖書の原理があり、神の癒しというものが大きく覆っていることは間違いない。しかし、教義を掲げて迫るようなものではない。まさに、イエスが人の心を癒すのを目の当たりにする。しかも、それがただ偶然になされたというものでなく、これだけ多くの人の前に起こった出来事であるということについて、私たちは目を覚まされる思いがする。
 赦した時から、もうその人は犠牲者ではなくなる。その束縛を抜け、自由を与えられる。これは、理屈としては言うことができても、当事者になったときに、できるものではない。かつて三浦綾子が『氷点』の中で試みたのは、必ずしもこの通りではなかったかもしれないが、大きな問題提起であったことが、改めて感じられる。
 書評の中に「苦しくて堪らなくてネットでみつけたこの本を買いました。強い信仰に基づいたお話ではありますが、泣きながら読みました。私はクリスチャンではありませんが、宗教を信じていようといまいと『赦す』ことの大切さは変わらないということを感じました。」と書かれてもあった。赦すことが、自分を変えるし、世界を変える。これは、自分が直接の被害を受けていない立場にある者にとっても、他国に理不尽な憎しみを抱き有している一人ひとりが、我が身を振り返らなければならないことを教えている。
 まず今日、一つの赦せないことに気づき、赦すことを、誰もが始められたらいいとつくづく思う。いや、それはまず自分から、である。




Takapan
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