本

『人生の哲学』

ホンとの本

『人生の哲学』
渡邊二郎
角川ソフィア文庫
\1200+
2020.1.

 東大を退官した後、放送大学に着任した。そのときの内容をまとめたものである。
 渡邊二郎というと、ハイデッガーの解説でお世話になった。2008年に逝去された。カントの命日と同じ日である。気取らない、学生にも呑み込みやすい解説だったことを覚えている。
 ある人が、本書が文庫として復刊されたことを、名作だと絶賛していたことで、かつての記憶と結びつき、取り寄せることにした。放送大学云々の背景も知らないものだから、ひとつ胸を借りるように、偶には真面目な人生の話を聞くのもよいだろうかと考えたのだ。哲学を知る人だから、いろいろな哲学者の考えを引いてくるであろうことは予想していた。それも、西洋哲学ばかりだろうというのも、予想の範囲だった。
 が、これほどに真面目であるとは、予想以上だった。
 確かに、放送大学だと聞けば納得がいくが、本書は、そのことを明かしている本来の「まえがき」を、巻末に移している。私もその戦略に乗ってしまったことになる。それでよかったと思う。となると、いまこれを記すことで、お読みの方には、楽しみを奪ってしまったことになる。いわゆるネタバレである。申し訳ない。
 放送は全15回。半期分である。人生における5つのテーマを、それぞれ三回に分けて説いていく。見事な計画による配分である。最初は「生と死」、次からが「愛」「他者」「幸福論」そして「生きがい」である。あれもこれもと欲張らず、本質的なところに絞って深く探っていく。なるほど、教育的配慮としては十分であろう。拾い出してくる哲学者や哲学思想は、必ずしも多様性を極めてはいない。代表的な幾人かである。だが、それでよかったのだろうと思う。極端に言えば、一人の哲学者だけを追いかけても、そこそこ人生論を綴るとはできるのだ。あるいは、いっそ自分の生い立ちや経験を描くのもよいかもしれない。
 だか著者は、自分のことは語らない。語ると文学になりうるであろうが、それは普遍性をもたないものだと理解しているのかもしれない。ここでは、できるかぎ普遍的であるように配慮する。俺に当てはまるからおまえもそうだろ、式の暴力的な言明ではなくて、哲学者という、ものごとを真摯に問い続けることで多くの時間を使った先人たちの知恵は何と言っているかを提示して、読者一人ひとりに考えてもらおうとするのである。そのときにこそ、自分の具体的な体験を描く、否、読者が自分の人生を哲学するようになるのだろう。
 あるいは、哲学的に思考することによって、ひとは自分の人生を生きることについて、善く生きるようでありたいし、充実したもの、真実なものでありたいと願うことができる、というふうに言いたいのかもしれない。
 個々には、実践はなにもない。極端に言うと、理屈で人生論を完璧に論じて飾り付けをしたとしても、現実に何らかの行為をするということとのつながりは、全く気にされていないということである。
 だから、人生の何もかもを要求するというのではなしに、まずは自分で自分の人生をどう考えるかという点で、昔の哲学青年の悩みへの答えをひとつ提供しようというものであるように私は感じた。人と一緒にどうしようか、という社会的な観点も、ここにはない。やはりあくまでも、哲学成年の孤独な思考に寄り添うのが、ここに与えられたテーマであると言ってよいだろう。
 だから、ここに書いてあるのは理想だが、人生のすべての理想が検討されているのではない。まずは、「私は如何に生きるべきか」という真摯な問いについて、自分の中で様々な角度から考えてみようということなのである。「他者」という章もあるが、他者が自分をどう見ているかとか、他者とどのように対話していくかとかいう意味での問題意識ではない。あくまでも、私が「他者」という存在をどのように意識し、そのために何が大切であるか、という自分の中での課題を見出していくことに集中しているのである。
 いろいろな思想を比較対照し、その中にどういう問題が残っているか、といったことにも触れることはあるが、著者は著者なりに、好ましい考え方を選択しているようにも見える。限られた人生の中で、どう自分の人生を捉え、それを全うするべきなのか、そういった決意のようなものを促しているようでもあった。
 その意味では、やはりハイデッガーの現存在分析の構図は、大きなモチーフになっているかもしれない。しかし、ハイデッガーに依拠するのではなしに、さらに著者なりに重視しなければならないと考えていることを深く掘り下げている。キリスト教についてもやはりかなり大切なフィールドとして取り上げている。西洋哲学の領域内で人生を捉えようとしているから、それも仕方のないことであるだろう。だから、本来ここには殆ど触れられていない、仏教的な人生観や、儒教などの人生観をも踏まえ、それらを吸収して咀嚼した日本人思想家の先人たちの人生観も、加味した中での「人生の哲学」であることが、やはり望ましいはずである。インドやアフリカの人生論も加わるのでなければならない、とも言ってよいだろう。
 だが、そうでなくても、文庫本で400頁余りのこの本で、ここまで多くの哲学者の思想を、自分の生きる人生に関わるような形で丁寧に記すことができたというのは、お見事というほかない。皮相的なものや、情報の渦に巻き込まれて流されているかもしれない、と自分について危機感を覚え、真面目な人生を一度考えてみたいと思う若い世代には、案外新鮮で受け容れやすいものがここにはあるかもしれない。また、著者も言うように、本来年齢を重ねてきた人こそが、人生の何たるかを問うものであろう、とするならば、ベテランの人たちが、改めて自分の中の声を聞こうとして本書をその窓にすることが、適切なことであるとも言えるだろう。その意味でも、本書は「心洗われる」体験を導く良書であることは間違いないと思われる。




Takapan
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