本

『人口減少時代の宗教の危機と対応』

ホンとの本

『人口減少時代の宗教の危機と対応』
勝本正實
いのちのことば社
\1200+
2020.12.

 薄い本だが、資料としてはかなり重厚であり、ショッキングである。よくぞこれだけ悲観的なデータをぶつけてくるものだと思う。いや、これは批難しているのではない。誰もが心に懐きながら、口に出すことをためらうことを、言ってくれたものだと感心するのである。
 私もどちらかというと、この側面を正面から論じるべきだと考えている。
 そう、教会の未来は暗い。閉塞感などという言葉で打ち出した検討会もあったが、それどころの話ではない。閉塞ならばまだ存続する。だが消滅するとなると、話が大きく変わってくる。
 ただの教会内の危機感であれば、私も懐いているし、それなりの観察と予測ができるものと考えていた。が、本書を手に入れようと考えたのは、この著者がユニークだからだ。キリスト教の牧師相当の方であるが、仏教を深く学んでいる。神学校卒業後、立正大学で僧侶になる過程を修めているというのは驚きだ。さらに神道の学会にも加わっているというので、いったいどうなっているのかと思いたくなるほどだが、職務としてはキリスト教であることは間違いない。
 よって、本書は、日本本位の情況にあって、キリスト教会を主眼としつつも、仏教や神道がどうなっているか、どのように考えているか、こうした視点を、客観的に並べているということになる。これがユニークなのである。単に外部として仏教などを眺めているわけではない。その内部から問うのである。
 最後のほうで、結論めいたものとして、小手先の対処ではなく、また現状を見守るような態度ではなく、かつてと変貌した現代社会において、宗教ならではのできることを見出して、また宗教ができることを表に出すべきだという考えを述べるのだが、そのときにも、神道の良いところ、仏教のなすべきことを、いわば対等の立場にある宗教として告げている。そしてもちろん、キリスト教がどうするとよいのか、その強みとは何かということを意識させるべく、語っている。ここが、通常の教会危機の論者には真似のできないことだと思う。
 仏教はだめだ、神道では救われない、などと吠えている中で、さあ教会はどうしよう、ともがくのではない。見下すような視線を、類書では感じざるを得ないのだ。たとえ見下していない、と言い張るにしても、どこかでキリスト教自身を優位に構えて特別視しているのではないか、と問うことは、失礼にあたるだろうか。よくお考え戴きたい。だがどれも自らの痛みを覚えるかのように学んでいる著者は、決して見下しはしない。宗教全般を、人類にとり必要なものとして捉えつつ、その本来の課題を、経済的原理に伴う産業が担ってしまっていることを意識されるのだ。また、宗教自体が、何らかの経済原理の中に組み込まれてそれに支配されているのではないか、と考えさせるのだ。
 読んでいて、それはそれは痛い思いをさせるような言葉が並んでいる。タイトルにもあるように、人口減少という現実と、宗教の消滅危機。人々も関心をもつことがなくなり、自分とは関係がないものとして遠巻きに見るのが当たり前の世相。教会関係者がこれを読むものとして、寺院や神社の内部で何が考えられ、またどう対処しているのかの模索。そして同じ課題を抱えるものとしてのキリスト教会の姿を突きつけてくる。読んでいて、気持ちのよいものではない。希望がなくなるような、痛めつける記事が満載である。しかし、だからこそ、これに向き合う必要がある。この現実から逃避していては、ずるずると落ち込んでいく、そして消滅するという道を逃れることができないであろう。自己欺瞞に陥ってしまうならば、まさに敵の思う壺である。考えようではないか。対処しようではないか。変わろうではないか。
 キリストと出会ったときに、かつて各人は、それまでの人生を変えられたはずである。世界が変わったはずである。変わる勇気をもつことは、できるはずである。もちろん、安易に教義を変更するなどということを言うのではない。礼拝の信仰を、社会運動に変えろというのでもない。迫害に耐える中で隠れて信仰をもつことがニーズであったような、ローマ帝国支配の下での初期の教会のあり方とは私たちは違う。違う社会にあっては、単純にかつての教会と同じ働きをするしかないわけではない。そのスピリットを受け継いで、いまここに置かれた情況の中で、役割が与えられているはずである。キリスト教会が、仏教や神道とは異なり、社会から隔絶したものとしての矜持を保つだけではいけないのだろう。かつて社会運動をしていたキリスト教の姿に戻るのかどうか、それも分からない。但し、世の中で役立つことをしていたこと、地域の人々と共に働き、世の光となってきたような明治期からのキリスト教会の歴史は、決して誤っていたのではないはずだ。それと同じ形であるかどうかは別にして、新たな働きが期待されて然るべきではないか、そのために教会が人々の心を助けるためのメッセージを、明確に中心に据えて発信することが求められているというのは、本当だろうと思うのだ。
 本書は、こうしろ、と命ずるものではない。自分の姿を見よ、と言うのである。これに背を向けては、確かに未来像は描けまい。まるで、ひとが救いを経験する過程のように、教会は、自らを知る必要がある、と突きつけてくるような本である。刺激を受けなければならないのは確かである。




Takapan
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