本

『なぜ自信が持てないのか』

ホンとの本

『なぜ自信が持てないのか』
根本橘夫
PHP新書487
\756
2007.10

 なぜ……というアピールはあまり効果的でないとされているが、書名となるとまた別なのだろう。もともと手に取ってみようかと思いつつ訪れる書店に並ぶ本の中で、なぜ、という問いかけは、むしろ手に取りたくなるものなのかもしれない。
 サブタイトルは「自己価値感の心理学」とある。新書という形式に沿うかのように、この視点が終始貫かれている。くどいくらい分かりやすい。ここにあるのは、自分に価値があると落ち着いて生活していけるタイプの、いわば健全な性向の人と、自分には価値がないという前提で物の見方や考え方に問題を抱えるタイプの人との対比である。
 それはまた、一定の心理学の立場ではあるわけだが、現代の抱える問題をなかなかよく指摘しているようにも読めた。自分をも含めて、思い当たるふしも少なからずある。もちろん、すべての人間をこの二つのタイプで分けようとすると無理があるのであって、そういう類型分けのために用いるべきではない。それよりも、ある種の問題行動をとってはばからない人の背後に、何かそういうものが影響を与えているのではないか、という味方を提供してくれるように感じる。
 となると、多かれ少なかれ、人はこの無価値感をかかえているわけで、問題はそれをどう乗りこえていくか、ということにも向けられなければならない。それを克服することについては、巻末にわずかな頁しか割かれることができず、またその方面の本が別に必要ではないかというふうには思われたが、概して興味深い内容であった。
 とくに、子どもに対して無価値感を与える言動がどのようなものであるか、については、どの親も必ず言うであろうような言葉が列挙されていて、胸の痛いところであった。それらの影響に、気づいていないつもりではあったが、やはりこうも突きつけられると、気が重い。マイナス要因は避けられないが、それを超えるプラス要因が求められているのではないかという気がした。
 聖書については、ここには触れられることが全くなかったが、考えてみれば、聖書のメッセージは、「私は価値がない」と思う人こそが「神に愛されている」、というものである。まさに、無価値感が避けられないものであると共に、それが恵みのうちに、つまり人間の内部や努力によってではなく、与えられたものとして、超えられているというところである。この心理学の指摘するところを、信仰はうまくはたらけば克服するという点を、改めて知るような思いであった。




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