『事件報道の裏側』
三枝玄太郎
東洋経済新報社
\1500+
2024.5.
1991年に産経新聞に入社し、社会部などをリードしてきた。いまは独自にニュース解説や背信をしているという。書かれてあることは、まさにタイトル通り「事件報道の裏側」である。新聞記事を書いてきた当人である。表向き、そのような記事が出て来たということは、背景にこういう事情があるのだ、ということは当然熟知している。普通の元記者は、敢えてそういうことを暴露はしないだろう、というだけのことである。
実際の事件についての逸話に溢れている。だから、発表しにくい、という事情もあるだろう。プライバシーに関わることもあるだろうし、場合によっては裁判がまだ終わっていない、という事情があるかもしれない。捜査の秘密に触れる場合もないとは限らない。そこへ、読者の興味を惹き起こすような話題で一冊をもたせるというのは、なかなか大変な気の使い方をするのではないか、という気がする。
表紙には、「これ1冊読めば、ニュースの真実とその背景(社会のしくみ)がよくわかる!」とも書かれている。文字だけの地味な表紙だが、本の内容は十分伝えることができているのではないかと思われる。
短いコラム的な記事が目白押しの中身である。特別にきっちりとした構成があるようには見えない。まさにコラムの羅列ではあるが、順に読んでいけば、確かに一定の理解を伴いながら流れてゆくことであろう。そのエピソードそのものは本書でお楽しみ戴くとして、目次から項目を幾つか拾ってみよう。
第1章は、「逮捕ってそもそも何なの?」と、初級編の解説ではあるが、「緊急逮捕」というものについては、そこそこよく知られるようになってきているだろう。しかし、「逮捕」という段階に入るためには、案外ハードルが高いらしい。「別件逮捕」の意味や、「処分保留で釈放」という報道の実情なども明らかにされる。「告訴」と「告発」の違いなどは、分かっているようで案外明確ではないかもしれない。
第2章は「取調室では何が起きているのか?」をである。ここはドラマで描かれることはあっても、実情がその通りであるわけではなく、記者が知る実際のところをなかなかよく教えてくれる。「容疑をほのめかす供述」という言い回しを耳にすることがあるが、それにはやはりちゃんとした意味があるのだ。「黙秘」の損得勘定は、悪用されるとよくないが、いくつかの極端なケースを教えてくれる。「マル暴」の怖さや「家宅捜索」の異議、「防犯カメラ」の影響などにも触れられる。
第3章は「『命に別状はない』と『意識あり』はどう違う?」という角度から、「重傷」や「重症」の違い、「被害者と連絡が取れない」という報道はどういう場合に出てくるのか、などを話す。「DNA鑑定」の歴史にも触れると、やはり昔の操作の実情というものが出てくるから、いまなお「冤罪」として議論になっていることも、大いに問題があることが予想できる。
第4章は「貪っては火事や失踪ほど難しい事件はない」となっておりね火事や詐欺、放火といった事態から、失踪者について警察が最初から懸命に取り組んではくれない理由も明らかにされる。つまり、その9割は間もなく自然に解決されているからだ。確かに、残りの厳しい事態が起こると、警察は何をしているのだ、という世論をマスコミが煽ることがあるが、全部にエネルギーを注ぎ込んで取り組むことが事実上できない事情はあるのだ。
第5章は「『超』踊る大捜査線」と題し、刑事ドラマのドラマ性は確かに魅力だが、現実のそのような捜査はどうなっているか、に言及する。「キャリア」と「ノンキャリア」の違いも興味深く紹介されたり、各方面の裏話がちょこちょこ現れてくる。
もう詳しくだらだら告げては仕方があるまい。第7章は「『夜討ち朝駆け』は風前の灯か?」、第8章は「大新聞で事件記者が減っている?」、と続き、最後は第9章「それでも事件記者は走る」で、事件の被害者を取材に行くことが実際辛くてできないことがあった、と言うような、非常に人間味のある話も聞くことができる。社会を動かす可能性のある記事があることを胸に、個的な仕事であるよりも、もっと大きな意味をもつものとして、記者の職務を考えたい旨が語られると、ただの楽屋記事に終わらない、意義のある本として結ぶことができると言えるだろう。

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