本

『児童文学論』

ホンとの本

『児童文学論』
リリアン H.スミス
石井桃子・瀬田貞二・渡辺茂男訳
岩波書店
\650+
1964.4.

 松居直氏の本の中で、読む価値のある古典的作品だと紹介されたので、探してみた。もう半世紀を超える歴史を刻む本でしたが、運良く古書が見つかった。個人的には、アスランの物語を読んでいたので、瀬田貞二さんの訳が加わっていることが楽しみであった。松下氏の本の中でも、瀬田さんの素晴らしさが滲み出ていたので、やはりこの児童文学論にはすばらしいものがあるのだろうと期待して開いたのである。
 さすがに、本書に出て来る児童文学については、知らないものの方が多く、実例については十分その背景を覚ることはできなかったのだが、知っているものもあり、また概ね児童文学のあり方についてはそれなりの見解を聞き、また思うところがあったので、楽しく読むことができた。注釈が見事で、それがあれば読み進むに何の困難も覚えなかったし、この注釈だけを独立させて、児童文学の資料としてもよいのではないかと思われるほどの内容であった。
 児童文学は、子ども向けのお遊びではない。それは一般の文学と同様に、批評に晒されねばならず、内容を検討されなければならないものである。こうした訴えから始まる本書は、子どもの心を育むために児童文学がどれほど重い意味をもっているかを、読者に終止突きつけてくれる。そしてまた、商売のために大人が子どもに提供しようとしている本が、如何に子どもたちの心に反しているか、その教育を害しているか、が随所に漏れ運ばれてくる。実はこれは、いまも耳の痛い話であって、本書の切なる訴えにも拘わらず、その後のこども向けの本の出版界においては、何も従っておらず、むしろその悪しき経済主義に現代が染まっているのではないか、といまにして思わされる次第である。違うだろうか。
 しかも児童文学論は、アカデミックな議論としてなされて終わりなのではない。子どもたち、ひいては将来の人間たちを形成し実りをもたらせるという、人類全体にとってもかけがえのない仕事に関わるものである。
 こうした点をベースに、児童文学とはそもそもという辺りから始まって、次第に具体的な作品の検討に入る。昔話から、神話という形で始め、叙事詩から一般の詩、そして絵本となると、松居氏のお勧めの領域であると言えるだろう。そのストーリーはどうあるべきか、ファンタジーの効用は何なのか。また、歴史を描くということは子どものためにどうであるのか、また知識を提供する本に至るまで丁寧に論じていく。
 このまま大学の授業で読み上げても、講義として成立するものであるように見える。その後の文学の歴史や社会情勢が、果たしてこの本が書かれて時代のままのものを保っているかというと分からないし、子どもを取り巻く環境もずいぶんと変わっている。特にいまならば、電子機器とデジタル思考に包まれた社会が、ここに挙げられた児童文学の世界とはまた違うものを確実にもたらしているといえ、新しい「児童文学論」には、そのデジタル性についての検討を行う一章が、あるいはへたをすると全体を覆うかのようにその議論が、必要になっているのかもしれない。その意味で、この精神を継ぐ心ある学者が、現代における「新・児童文学論」を提供してくれないかと期待するものである。
 しかしそれはともかくとして、子どもを愛する人にとり、本書は一読に値する。決して、半世紀の時間が距離を築いてしまっているとは思えないし、いままた百年前の児童文学を出版する人々の意義や願いを支えるためにも、まだまだ必要な概論であるような気がしてならない。その意味でも、再版されるなどして、新たな研究者や親たちに、広く手に取られるようにしてもらえないだろうかと、ささやかな願いを呈する次第である。




Takapan
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