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『自分を変えたい』

ホンとの本

『自分を変えたい』
宮武久佳
岩波ジュニア新書944
\860+
2021.12.

 岩波ジュニア新書といえば、岩波新書に手が届かない、中高生向けという位置づけでつくったシリーズであると思っていた。これは私の思い違いだっただろうか。ただ、いまも巻末の「発足に際して」で、若い世代と呼びつつ、学校での問題を例に挙げている。となると、やはりそれは学校にいる「生徒」レベルで呼びかけているのだと思いたい。
 ところが本書は、ついにターゲットを完全に「大学生」にしてしまった。大学の教養科目の教員である著者が、まさに「学生」へ向けて語っているのである。そして「はじめに」の中で、「本書は、大学にやってきた皆さんが」考え学ぶヒントをつかんでくれたらという思いで書いたと記している。但しそこには、「あるいはこれから大学を目指す皆さんが」とあるので、高校生も視野に入れているとは言えるが、本書の序章は「社会人教授がみた大学生」であるし、第3章は「大学生に無関心な社会」である。その他、大学生の英語能力云々も述べられているし、就職活動をするための大学のあり方を問題視する発言が何度か登場する。これらは、明らかに、大学生に呼びかけた本であると考えざるをえない。
 大学生がすっかりジュニアとなってしまったのだ。
 著者は、本文内でも名乗っているように、共同通信社に25年勤めて後、大学教授として、また学生として、大学に関わる生活を続けている。だから、相手は大学生でよいのだが、私は「ジュニア」新書の変貌に実に驚いている。
 さて、本書の内容については全く触れていない。サブタイトルに「殻を破るためのヒント」とある。本書の観点は、これに尽きる。もちろん、若者の抱える問題は様々である。だがそのメンタルな面に絞り、付き合う中で気づき思わされた大学生たちの性格や考え方に対して、60代の著者の思うところを余すところなく語っていると言うものである。
 時に、それはお説教のようにならないわけではないが、概して個人的に呼びかけるかのようにして、アドバイスを繰り返すように聞こえる。これを今どきの若者がどう受け止めルのか、そこに興味がある。反応を知りたいものだ。
 たとえば、ネット情報にすぐに頼るのではなく、読書の勧めが最後にあるが、この感覚自体を、もう古いと一蹴する若者もいるのではないだろうか。いや、そうではないというふうであってほしい、とも思うが、Z世代の感覚を知りたいと思う。なお、本書にもこのZ世代について触れたところがあるが、それは消費購買の領域でだけしか取り上げられていないので、著者はその点をあまり意識していないかもしれないように感じた。
 だが、強みがある。強みは、やはり社会人としての経験である。これが著者の神髄であるから、それに加えて後に学究的な述べ方あるいは研究が添えられたのであって、実地の社会との関係が確かなものとして描かれうることである。これはただの大学に入り浸っただけの大学教授とは違うところだ。そして若者とも触れあっているので、社会からの視野で、彼らが「カラに閉じこもっている」という概念によって、問題点の縛り方を提言している本書の意義を感じるものである。
 その細かな指摘については、ぜひ本書を辿ってみて戴きたい。巻末近くで、その読書について、本は初めから終わりまで順に読まねばならないものではない、という至極尤もなことを書いているが、私は逆説的に、本書は順に最後まで辿ってみるとよい、とお薦めする。
 よく言われるものだが、〓啄同時(〓は口偏に卒、そったくどうじ)について改めて説明してあるなど、各章の終わりに「コラム」が載っている。新聞みたいだ。これが結構小気味よい。章から章へ、続けていくと、少し気が重くなることがあるかもしれないから、ちょっとしたコラムは、よいタイミングでの清涼剤となるように感じるのだ。
 破れない殻の問題を、幸福の概念や大学生たるものの変化、つまりまだどこか子ども扱いされているような大学生などに触れて考えていく。そしてここのところが、「ジュニア」新書が大学生に呼びかけている正体なのであろうと私は思う。本書の内容が、大学生をジュニアへ置いた点を踏まえているのである。
 大人になること、またそもそもこの「自分」や「社会」について考えてみること、学校の問題と会社人間の問題なども視野に入れ、ひとりで考える時間を大切にしようということへと誘っていく。
 著者の気持ちは、個人的に私は分かると思っている。しかし、これを若い世代が受け止めてくれるのかどうか、そこが気がかりだ。若者の悪口を言っていることは全くないが、この解き方で受け容れるのかどうか、そこが分からないのだ。岩波書店は、どうかこの本を読んだ若者の反応というものを、何らかの形で調べ、報告してくれないだろうか。読者の反応でもよいし、何かの企画でイベントめいたものにしてもよい。それがなされてこそ、本書を世に問うた意義というものが量られるのではないかと思うのだ。




Takapan
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