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『中学生からの哲学「超」入門』

ホンとの本

『中学生からの哲学「超」入門』
竹田青嗣
ちくまプリマー新書113
\800+
2009.7.

 幾度も繰り返すが、ちくまプリマー新書はすごい。中高生対象という形で著者に優しく語らせておいて、内容は非常に高度である。また、大人にとっても、抽象度が下がっているために、非常に読みやすい。一読して、言おうとしていることが呑み込める。大人が素早く物事の本質を知ろうとするときには、恰好のシリーズなのであるる
 そういうわけで、ここに「中学生からの」というのは、確かに「からの」であって、「中学生の」ではないことに気を留めたい。
 このタイトルの横に、小さく「自分の意志を持つと言うこと」とある。これを、ごく一般の抽象的な意味で受け取るのが、私の失敗であった。実は本書は、この言葉を明らかにするために、非常に熱意をもち、また具体的に議論が突き進んでゆく。読後、初めてこのサブタイトルを見て、感慨深い思いがする体験をしたのである。
 竹田青嗣氏と言えば、なかなかの論客であり、現象学とその周辺については、力のこもった本を沢山著している人である。ただ、その人となりについては、これまで私は知ることがなかった。本書では、まさかそんな人だったとは、というような生い立ちが、惜しげもなく曝け出されていて、驚いた。敢えてその内実はここでは触れないが、凡そ私がイメージする哲学の先生とは異なり、大変な経験をしていたというのだ。世間のイメージから言えば、ダメダメ学生なのである。読者の中高生には、それが親しみやすさを感じるきっかけとなるかもしれない。それを計算しての技だったのかもしれない。でも私は、本書のテーマと筋道からして、実によく考えられた入口だったと思う。
 最初の章は「自分とは何者か」と掲げられている。結論を示してしまうのは忍びないが、結局これは、「自己ルール」の束である、ということへと収束してゆく。ではその「自己ルール」とは何か。これを理解するためには、本書を辿ってゆくことが必要である、としておこう。ソクラテスに導かれるように、読者はそこへ連れて行かれることであろう。
 著者が哲学を志すに至る過程を語るところから、本書は始まる。
 それから「欲望論」が展開する。これは後の結論への道に影響することだろう。
 ところが話題は、世界へと拡がる。つまり、それは哲学というものによるのだが、他方で宗教もまた、世界を解釈するものである。宗教と哲学の違いについて、またそれらの目指すものについて、これほど親しみやすく論じたものは、他にないような気がする。これも明かすのは忍びないが、哲学は概念と原理により世界を知るのだが、宗教は物語で世界を説明するというのだ。そこから、神を持ち出すにしても、形而上学を構築するにしても、方法が異なってくる。中学生に「形而上学」はやや思い切った切り出し方だが、この機会に中学生にも知ってもらうこととしよう。
 しかし、哲学と宗教の「弱点」についても触れるのが、著者のなかなか公平な扱いだと言える。そこから、「自由」の問題が始まり、「大貧民ゲーム」が大いに語られることとなる。ここが面白いところだ。それは、先に挙げた「自己ルール」という考え方を読者に伝える大切な営みであった。
 それを踏まえてから、アーサー王伝説の「ガウェインの結婚」の物語を語る。いやぁ、面白い。これは「世界史講義録」というウェブサイトからの引用であるといい、そのサイトの紹介もされていたが、私も訪ねてみて、確かにこれはいいものだと喜んだ。
 この物語は、幸福への問いに繋がるのだが、そこであの欲望論が回収される。そして本書で随所触れてきた問題点を抱上げながら、その物語で提示された「自分の意志を持つと言うこと」を繰り返して、本が閉じられてゆくことになる。これこそが、一番大切なテーマであるのだ、と。
 分かりやすい言葉で伝えれば、受け手は自ら考えやすくなる。自分の意志で考えるためにも、伝え手は、分かりやすい言葉で伝える必要がある。著者はそのことは意識していなかったかもしれないが、私はそれを強く覚えた。




Takapan
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