本

『慈しみとまこと』

ホンとの本

『慈しみとまこと』
上智大学キリスト教文化研究所編
リトン
\1500+
2017.10.

 古書店で安かったのと、ちらっと見たらヘブル語を交えた説明がしてあったので、購入することにした。すると、良い意味で期待を裏切った。これはすばらしいシリーズだ。多くの類書があるとのことなので、ほかのも探してみることに決めた。
 数人の大学研究者の論文が、教皇がほぼ2016年を「いつくしみの特別聖年」としたことから、そのひとつのテーマのもとに並べられているだけではあるが、それぞれが含蓄深く、様々なことを教えられるのである。
 最初は月本昭男教授。古代文明の考古学的な知識も豊富で、もちろんヘブル語で旧約の世界を解き明かすことにかけても超一流である。それが今回、慈しみとまことという課題のもとに、短いが深く広く語ってくれている。この組み合わせで聖書には出てくるのだが、ユダヤ文化の場合、七十人訳という形でギリシア語に訳され、それが広くユダヤ人のアイデンティティを形作ってきた歴史があるものだから、ギリシア語にどう置き換えられていたか、また継承されてきたか、がかなりのウェイトを占めることになる。それも踏まえながら、その言語による概念の相違と共通理解とを丁寧に指摘し、読者の目を開いてくれるという具合である。
 学術論文ではないため、原典や引用文献の羅列もなく、語り聞かせるそれだけで内容を的確に伝えようとしているといえる。これがまたいい。煩雑な正確さよりも、聞いての分かりやすさ、呑み込みやすさ、そしてもちろん説得力ある真実さがそこにあれば、十分なのである。慈しみと日本語に訳すことで陥る危険性を指摘しながら、そのまことという言葉の背景に潜む概念というように、原語のもつニュアンスや、それを使う人々の生活文化や精神文化を横に置きつつ、相応しい的へと進んでいこうというのだ。その知識興奮も十分与えらたし、信仰的にも神との関係の中で確かな導きをもらうことができたように感じた。ただの好奇心の問題ではない。神の愛の素晴らしさを改めて知る、気づくということのために、これらの方法は確かに活用されたのだ。
 ホアン・アイダル教授からは、教皇の用いるテクストの中での、いつくしみの意味を、またその真実を、全カトリック信徒に呼びかけ、言い聞かせるように丁寧に教えてくれた。心を開くことが奨励され、また悪の根ともいえる、教会を代表とした組織が自己完結性に慢心することへの警告が、厳しく言い渡される。そしていつくしみこそが、偶像を破壊する力となるのだと力強く、希望のメッセージを送る。
 最後に、上智大学からすればゲストにあたるだろうと思うが、竹田文彦教授を通して、「肝苦(ちむぐ)りさ」という沖縄の心を紹介してもらった。これは心に刺さった。この言葉が、神の憐れみや慈しみを実によく表しているのではないかという仮説から、聖書の様々な場面と、その沖縄の言葉にこめられた意味とを重ねて説いていく。他人の苦しみを自分のことのように自らを責めることで捉え、決してそれを他人事とは考えない気持ちを、沖縄の人はそう呼んだが、イエスもそうなのだということを、慈しみやかわいそうなどの言葉を使っている場面をたくさん挙げ、その意味で説き明かしていくということになる。そして、ついには自分が聖書から問われているのだと結論づける。あなたはこれを聞いてどうするのか、他人事でないと知ったら次は、という問いが投げかけられてくるのである。
 この三人などが最後に集いシンポジウムで対話した様子も最後に載せられている。倫理から真理へという方向で考えていくユダヤ文化のことが挙げられ、まこと即ち誠実であるということは、決して自分自身に対して懐いたり適用できたりするような代物ではないのだということを断言する。自分に素直になることが自分への誠実さだ、などと日本語では言いたくなるが、ユダヤの文化ではそんな言い方はありえないというのだ。これは信仰と約されているギリシア語のピスティスに連なっており、近年の聖書研究や邦訳聖書の中でも、イエス・キリストへの信仰と訳さず、イエス・キリストの真実、あるいは信という捉え方が表に立ってきているがそのときに注意したい内容である。ここでも神と人との決定的な違いがまずあって、それを前提に解釈していかないと、誤った、情緒的な自己満足的理解に留まってしまい、それを広める危険があるということになるのだ。
 カトリックは、信仰よりも行いを優先して義とするのだ、などといった、底の浅いというよりも単なる無知による偏見の中にあるプロテスタント信徒は、決定的にまずい。本書のような、親しみやすいシリーズで聖書を、そしてカトリックの組織的伝統の一端を、ほんの少しでも味わわせて戴くべく学ぶとよいのではないかと自戒的に思わされている。文字も大きめだし情報量が少ないように感じられるかもしれないが、一言ひとことの中にこられた魂の言葉が、びしびし伝わってくる、良書であると思う。だからすぐさま、関心のあるタイトルの仲間の本を注文することになったのである。




Takapan
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