本

『一瞬に生きる』

ホンとの本

『一瞬に生きる』
小久保裕紀
小学館
\1575
2013.2.

 引退したらまず自伝を書きたい。
 ホークスの小久保選手が口にしていた言葉は、そのまま実行された。口に出したことについては実行する、という、プロ野球選手としてのポリシーをそのまま、執筆にも活かしたかのようであった。
 引退したプロ野球選手が、現役生活を振り返って何かまとめたいと思うことはあるようだ。尤も、それはかなり恵まれた人であって、その日からどうやって暮らすかということにしか行動と思考を許されない立場の人も数多いことだろう。
 ともあれ、ホークス、そしてジャイアンツの3年間を経て再びホークスに戻ってきた、小久保裕紀という選手は、引退直後のテレビ出演や取材の多さにも拘わらず、確かにこれだけのものを書き綴ったのだった。
 こうした有名人の名で出版される本には、時折、いわゆるゴーストライターが文章を書いているものがある。あるいはそのタレントの話を聞くか、いくらかの書き物を素に、分かりやすい文章に調えていくという場合が多いかもしれない。昔、あるアイドル歌手が本を出したとき、その内容についてコメントを求められて、「私もまだ読んでないんですよねぇ」と答えた、というような伝説があるほどである(この信憑性か高いとも聞く)。
 しかし、この『一瞬に生きる』はどうか。手入れが一切ないかどうかにまで言及するつもりはないが、おそらく本人の綴ったとおりだろうと思う。そうでないと書けない部分があるのとともに、文章そのものが必ずしも上手くはないからだ。そのことは、本の初めと終わりに自らも記している。
 また、小久保選手を知っていた人は分かるだろうが、彼の話し方やその内容が、実際そのまま文字になっている、ということを感じることができるものである。彼自身、なかなかの読書家であるし、話す言葉はよく選ばれ、また責任感に満ちている。決して聞く人を楽しませるための語りを常に意識しているというわけではないが、誠実に語ろうとする姿勢を強く感じるし、ふざけないで本当のことを語り、それを実行しようという精神に常に満ちている選手だった。
 こういう姿勢は、この本のあちこちに見ることができる。
 そして、野球ファンなら、とくにホークスファンであったら、ここに書いてあることは、本当に臨場感の中に読むことができる。その試合を戦った人でなければ見ることのできない景色や、心象までが、正直に吐露されていると思うのだ。
 内容は、自分の生い立ち、学生時代の経験から、ホークスに入団するときのこと、してからのことが前半をつくる。間に、自分のモットーであり、この本のタイトルにした「一瞬に生きる」という言葉を語るために、自らの読書のことをしっかり記している。ユダヤ的な、囲い込みの構造を意識しているとは思えないが、まるでそのように全体が構成されており、その場合に中核となる箇所が、この読書ということになっているのだ。後半はプロ野球選手としての戦いの背後にあった事実がどんどん暴露されるような形にもなり、そのときのことをよく知るファンには、たまらない裏話のように聞こえるかもしれない。しかし、それはやはりプロとしての真剣さを教えてくれたということであり、時に誰かに失礼に当たるかもしれないことを、はっきりと書いている。いや、たいていは、自分を謙遜しながら書いている著者であり、また、逆に謙虚であるからこそ、自分の信念は曲げずにストレートにぶつけてくるのだ、というふうにも私は見た。
 ホークスは、最初、弱かった。小久保は、それが強くなる途上に入団し、優勝を続け、あるいは常に狙えるようなチームになっていくのと同時に選手生活を送っていったようなところがある。そのとき、選手間にどんな悩みがあり、また喜びがあったのか、努力があったのか、そんなことを、まるでそこにいて語っていると思えるほどに、次々と明かしてくれる。あの怪我と、ダイエーフロントへの不信とジャイアンツへの無償トレードという例外的な事態の背後にあったものが、よく伝わってくる。そしてもちろん、またホークスに戻ってきて、二千本安打を達成するまでのことも書かれてあるが、普通ならば、この最近のことが大きなウェイトを示すのではないかと思われるのに、えらくあっさりしている。もしかすると、当初の予定枚数に達してしまい、この感動的な引退前の時期のことについて、語る枚数がなくなってしまったのだろうか。いや、それは邪推だろう。逆に、そこをまとめるようにあっさりと述べているがゆえに、その他のグラウンドを見る眼差しに、この本の中心を譲り委託しているというわけであるのかもしれない。
 この手の本を私が好んで読むわけではないのだが、読んでいくとだんだん引きこまれていくのを覚えた。人間、正直に誠実に書くというのは、やはり魅力があるものだ。それも、ひとかどのことを成し遂げた人の言葉とあれば。




Takapan
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