本

『一生使える国語力』

ホンとの本

『一生使える国語力』
山口謠司
笠間書院
\1500+
2022.4.

 3歳から12歳までに身につける「読む・話す・書く」教室。そういうサブタイトルが、内容をしっかり説明している。漢詩に詳しく、日本文学においても研究が多い教授であるとのことだが、著者は、日本語を中心とした教育や言葉に関するこうした柔らかな本を、いくつも出している。それだけに、語りは非常に巧い。言葉に関心をもつ人、子どもの言葉について悩む人に、貢献していることだろうと思う。
 本書には「国語」という語が用いてある。「日本語」ではない。まずこの点から、本書は始まる。それによると、日本語を読み、書き、話すことができるか、それが「日本語力」である。語学の能力のことである。それに対して、日本文化を背景とした使い方をする日本語により、その背景を読み解く力をもつことが「国語力」なのだという。外国語を学ぶには、まず前者が必要であるが、深く学ぶにつれ、後者も必要になってくる。さしあたりコミュニケーションができるというのではなく、心通う言葉の使い方が可能になるということは、現代に必要を求められている能力ではないかと思う。本書では触れられていないが、私はそこに「想像力」の欠落を強く感じてならないのである。
 とはいえ本書をご紹介するには、その手際よさを、やはり第一に言わねばなるまい。そして、気軽にどなたでも読んで、一定の理解ができるという点が、一般書として優れている点である。
 母国語をどうやって子どもが知るのか。恐らく生理学的・心理学的には、こんな簡単なことではないだろうと思う。だが、学会の議論など、一般人は興味がない。子どもの言葉について関心を寄せる親だったら、この説明で、十分なのだろう。だから親が言葉をちゃんと使っていくことが必要なのだ、というふうにもっていく。胎内にいるときから聞いている、などとなると、そんなこととは知らなかった、と不安になる親がいるかもしれないが、語彙が増えていく3歳あたりからならば、きっと挽回できるであろう。
 一般の人に分かりやすいような説明が、どんどん続く。殊更に間違ったことが書かれてあるようにも見えないのであるが、時折、それでいいのかな、と思わせるようなところが、ないわけではない。とにかく、迷いなく、こうです、と言い切るところで、信用させるものは、確かにあるように思う。なかなかの説得力があるというべきだろうから、論理と情緒の2つですよ、と「カギ」が挙げられると、ほかのものはもう捨象されてしまうことだろう。先ほども私が余計なことに触れたが、「想像力」もきっと問題視されて然るべきだと私は思うし、「共通知」たる、他者の存在も、非常に大きなものであるはずである。しかし、2つだ、と言われてしまうと、そうか、と思わされて読んでいくことになる。
 もちろん、音読の勧めなど、ぜひ多くの人に考えてほしいことが強調されてもいるし、具体的にこれを音読で、と教科書などから挙げられた文章は、多少頁数を食い尽くすことになってはいても、本書を手にした人は、具体的で分かりやすいと感じることだろう。音読と黙読、それぞれの利点と問題点など、単純に決められないことも、著者にかかれば一刀両断である。もちろんここで、聴覚障害者の場合はどうなるか、という視点は全くないし、また、本の性格上なくてもよいのだろうが、聴覚に悩みを抱えている子どもとその親にとっては、国語力は使えないのだろう、というように聞こえることがある点も、どこかで配慮して戴けるとよかったと思う。
 もうひとつよく分からなかったのは、細かな年齢設定による「話し方のレッスン」であった。それぞれの年代で注意するポイントは、ほんとうにこんなに単純なことだったのだろうか、と思わされる。また、続いて「深く読む技術を磨く」と題しても、また年代別に細かなアドバイスをしていたが、それほどに区別した割には、よく分からない主張であったようにも感じる。低学年で「行間や細かい表現を読む」のは難しい。また、本書におけるその説明も、低学年にとても話を仕向けるための参考にはならないものであった。少なくとも塾で低学年の生徒に国語を教えている者としては。次の中学年での「色彩を読む」に至ると、もう何か詩人の世界に入ったかのようで、これが果たして「中学年」のためのアドバイスなのか、と不思議に思うばかりだった。
 最後の「書く」ところは、残りの頁数が少なくなったことを意識してか、明らかに端折っていた。私にとり少し参考になるところが、ないわけではなかったけれども、それは塾で他の基礎をみっちり踏まえた上で、これもさせてみようかな、という程度のことである。ここで要求されていることは、あまりにもレベルが高くて、実用的とはとても言えないものであった。まず主語と述語を備えた一文を書くことを身に着けるだけでも、たいへんな時間を要するのである。そして現代の子どもは、概して、書くことに慣れていない。自分の気持ちを伝えるコミュニケーション能力が、以前より劣っている。しかしここにあるのは、文章修行を10年くらいはやってきた人に、もっとこういうことも考えてみたらどうかな、というような内容であるように感じた。
 このように、最初はゆっくり噛んで含ませるように語っていたものが、しだいにテンポが速くなり、レベルが加速度的に上がっていく。それで、最初はよい印象で読み始めた親が、後半で息切れして、だんだん言っていることが分からなくなってくるのではないかと案ずる。また、では具体的にどうすればよいのか、ということが全く見えてこないアドバイスばかりというふうに思えてしまうようになってきた。
 最後に来て気づいたのは、これは大人向けの国語力のための訓戒のようなものだ、ということだ。年齢層が違うと思う。これは大学生から社会人というレベルで、自分の国語力を省みたくなった人にとっての、様々なヒントなのだ。一つひとつを読んでいるとそれらしく見えるが、流れの中に置くと、目まぐるしく景色が変わり、流れに乗って学ぶことが難しい。断片的に、これは試してみたらよいかな、というくらいに考える、大人向けの、国語力についての、ごく一部の見解であった、というふうに受け止めると、有意義な部分もあったのではないか、という気がするのである。




Takapan
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