本

『医師の一分』

ホンとの本

『医師の一分』
里見清一
新潮新書597
\720+
2014.12.

 途中で読むのを止めようかと思った。読んでいると、こちらの心も荒んでいくような気がしてきたからだ。どれほど頭の良い人か知れないが、気の毒な人だと感じた。
 少なくとも、品のない人だ、と途中で気づいたが、その調子は、読み進むにつれてますますエスカレートしていくのだった。
 新潮社の大人向けの雑誌に連載されているような記事を集めたものであるらしい。雑誌へのボイスは、注目されてなんぼという世界なのだろう。過激なことをずばずば言うことが好まれるし、またもてはやされる。有り体なことを書いても何の魅力もない。つまり、銭は取れない。だから、普通なら人は言わないでおくようなことを、巷での噂話のように、もさして根拠のない思い込みであっても、ズバッと書いておくと、読者は、同じようなことを感じる人もいるものだ、と共感する、そういう心理背景があるのかもしれない。
 もちろん、医療の現場で働いている人であるので、医療の問題点を指摘しているのは間違いない。現場の医療が現状ですべて肯定されるわけもなく、また国家経済を考えるときに、老齢者の医療費がそれを圧迫しているという点を解決していかなければ、国の将来の危機さえあることは確かである。しかし、だから老人は死ね、と繰り返し叫ぶような人に、私は品格を感じることはできない。
 自分が老齢になったら、その間違いが分かる、と冷静に構える読者もいるだろうが、恐らく著者のように頭脳明晰な人は、どうぞ殺してくれ、と開き直るか、あるいはまた、何か別の理由を探して逃れようとするか、また理屈を掲げてくることだろう。間違いを認めるようなことはあるまい。
 医師の仕事が実に大変であり、判断が瞬時に求められる割には、人の命を預かるということで、責任に押しつぶされそうな日々であるというあたりは、一般人が思う以上のものである、ということくらいは私たちも認識していたい。そこへまた、経営などの問題もあり、著者のように国家財政にまで視野を広げているとすれば、なおさら目の前の一人の人を相手をする場合の判断の中にも、その人だけを見つめていられない理念のようなものが働くことは大いにありうると思われる。医療費を優先するときに、助からない人を助けないことは、ある意味で正論なのである。姥捨の話もまた、昔人のそういう知恵を反映している。一つのチョイスであることは間違いない。
 しかし、著者の視野には、医療行為と金というカテゴリーばかりがあって、幸福という観点が欠けているように見える。また、自分が表明した意志こそが、その人の願いのすべてであって、人が何か他の影響で別のことを語ったり、あるいは意志したりすることがあるという視点は見えていないようだ。人が、「変わる」あるいは「変えられる」存在だという点も見落としている。
 恐らく、自分の強い意志で生きてきた人なのだろう。自分の思いを貫くことで道を拓いてきたのだから、すべての人が、自分の意志で自分のことを決めるべきだという思い込みがあるのだろう。その世界から見える強い意見を吠えることで、思い切ったことを口にしていると面白がられているのかもしれない。
 だが、人は弱いものでもある。また、自分で思いもよらないところで変えられていくということもある。自殺を希望した人は死なせてやったほうがよい、と、少なくとも他人は決めつけることができないのではないか。その蓋然性はいくらか高いかもしれないが、助けられて、今度は人を助ける側に変わっていった実例は、山ほどある。信仰をもった人にその例は事欠かないし、象徴的な意味であれば、信仰者はすべてそのようなものだ、と言うこともできる。暴走族がジコっても助けることに意味があるのか、のような揺らぎを医師が感じることを肯定し、むしろ推奨さえするような言動の中には、医師が神になるのだというような傲慢さばかりが滲み出ていると感じられてならない。事実、医師は神のように見られている、と、この本の中で幾度も繰り返されるか、おそらくその意識が著者は強いのだろう。
 医師の責任は大きい。だが、失礼だが、それに見合うだけの報酬もある。生かされる命について、もっと謙虚であることを私は著者に望みたい。
 巻末に、医療ドキュメント小説が附録のようにある。最初は実話かと思ったが、名前も出ているし、実はではあるまい。だが、何かの事例を大いに取り入れたストーリーであろうし、実際子どもが何か書いた手紙はあるのだろうと推測する。ここに、一人の死が医師の目で描かれている。私は、本を途中で投げ出さずに、最後まで見てよかった、と思った。この小説こそが、この著者の良心である。どうしてこういう眼差しをもっと読者に常に提供しないのか、と悔しく思う。過激な意見で反発もろともに注目を受けることもひとつの生きる術ではあるのだろうが、そのようにして自らの品を落とし、また、そこから妙に同調して勘違いをするような人々を生み出しかねないような「無責任」な言動を売り物にせず、この最後の小説のような視点と思いとを、読者にもたらして下さらないだろうか。
 せっかく人を救う賜物をもっている人である。あなたは、あなたに与えられたその才能を、素直に用いればよいのではないか。




Takapan
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