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『明治維新と西洋文明』―岩倉使節団は何を見たか―

ホンとの本

『明治維新と西洋文明』
―岩倉使節団は何を見たか―
田中彰
岩波新書
\740
2003.11

 1871年(明治4年)、国家使命を帯びて、岩倉使節団がアメリカやヨーロッパを視察するために旅立った。2年間ほどの視察の後、『特命全権大使米欧回覧実記』という公的報告書を提出する。
 この書は、この記述をもとに、いわば「内なる」開国、つまり「欧米の近代文明・文化を、いかに日本が主体的に受けとめ、また、受け容れようとしたか、あるいはしなかったのか」を明らかにしていこうとする。
 鎖国を終えて、西洋文明の中に飛び込んだ使節たちの戸惑いと驚きは想像に難くない。だが、私の想像以上に、使節たちは落ち着いて日本文化との違いを観察し、今後の日本のために何ができるか思案している様子が窺える。
 ここでは、この書の中の「聖書と国家」を見た感想を記す。
 当時、キリシタン問題に絡み、使節たちは宗教の問題は正面から捉えたくない状況にあった。あれだけの迫害を施してきた幕府の歴史の延長である。明治当初もまた、公的にも、キリスト教は禁教であり、邪教であった。しかし今から交易を始める欧米諸国は、キリスト教文化の国である。どうした扱いをするものか。できるならば、避けて通りたい話題ではあった。しかし、それはできない。
 使節団は、欧米における宗教が、日本のそれと様相を異とすることにすくに気づく。聖書はほぼ万人が手にし、誰もが礼拝のために毎週教会に通う。聖書については一人一人が知っている。しかし日本において、儒教にしろ仏教にしろ、その経典を解する者はほんの一部の者であり、おそらく僧侶の中でも一握りの存在でしかない。
 だが、使節たちから見れば、聖書の記事はとうてい信じられるものではない。死人の復活のことはせせら笑い、狂った人間の戯言と一蹴している。死刑囚の図、つまりキリストの磔刑の姿が掲げてあるのはなんとも縁起の悪いものか。しかし、宗教が決して理論だけのものでなく、「実行」つまり一人一人の生活にそれを活かす力をもつかどうかで考えられるならば、それは優れた側面をもつ、と判断する。
 もちろん欧米諸国の圧力もあったにせよ、こうした使節の感想が、やがてキリスト教を公的には解禁していく背景として作用していくことになる。(明治6年のキリスト教禁制の高札撤去は、庶民の感情や社会的実情としては機能しなかったことは言うまでもない。)
 しかし、使節団が、つまり明治日本がこうしたキリスト教をどのように見ていたかについては、はっきりとした地盤がある。それは、ひと言で言えば「富国」のためである。畢竟、明治日本の関心は、国をいかにして強くするか、にしかなかった。キリスト教文化に触れて学ぼうとしたことは、この宗教が国をまとめ人々の道徳を治め、国を立派なものにするための道具としてどう役立っているか、どう役立てられるか、という点でしかなかった。
 この観点は、天皇の神格化と国威の高揚、そして日中戦争から太平洋戦争へと日本を突き進めた原動力として働いた――と見るのは、この書の著者ではない。私である。
 その力は、敗戦によって集結した……かのように見えた。が、そうではなかった。今なお、国威をかけて軍隊派遣の既成事実を作るために躍起になる派がある。かつての神国日本を知る年配の方の中には、クリスチャンであっても、牧師などであっても、産経新聞を愛し、強い日本の再現に胸を躍らせている人が少なからずいる。
 明治使節のごとく、国家のために宗教を用いようとする意図があるかどうかは別である。当人たちは、宗教が主であるかのごとくに思い込んでいる。だが、為政者にとっては、宗教は道具でしかない。国家の威信が第一である。それが即座に悪だというつもりはない。それが為政者の使命であるといえばそうなのだから。だが、国民としてその詭弁に乗っていいのかどうかは別である。そのようなからくりくらいは、熟知しておかなければならないと思う。




Takapan
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