『石井のおとうさん ありがとう』
和田登著
和田春菜画
総和社
\1470
2004.7
石井十次の生涯に触れた作者が、やや創作も交えて、子どもたちにこの素晴らしい生涯を紹介しようとしたためた、児童文学書である。だが、子どもだけに制限してはもったいない。大人たちも、読みやすいがゆえに、手軽に手にとって戴きたい本である。
電車の中で読んだのが間違いかもしれず、涙を止めることができなかった。
石井十次は、明治を跨ぐようにして生きた、クリスチャンである。2005年、映画となって紹介されもした。
孤児をひきとり、何百人もの子どもたちの「おとうさん」となった人である。
社会福祉を国家が担うことのなかった時代、親のない子を引き取り育て始め、それがどんどん膨らんでいった。それは、医学の道を志した彼の上に、神の声として臨み、子どもたちを育てることに一生を捧げさせることとなった姿でもあった。
盗みしか知らないような孤児のグループを回心させ、教育によって社会復帰をさせた。もう、真似のできない次元の話ではあるが、この人が私たちに提示してくれた問題としては、社会福祉はもちろんのことだが、教育という問題も、受け止めていきたいものだと思う。いわばドロップアウトしていく子どもや少年たちは、多くの場合、教育から外れた所以であるということである。
それはともかく、イギリスのジョージ・ミュラーに刺激を受けた石井十次は、殆ど不可能なような、孤児たちを集めて一緒に暮らし育てるという生涯の課題に乗り出す。信仰を基礎にして、祈りの生活を共にする中で、子どもたちを的確に教育していく姿は、見事である。
もし今の世の中で、彼と同じことをしたら、大騒ぎになるに違いない。イエスの方舟のように、犯罪として追い立てられることにもなるだろう。共同体を形成する様子は、ヤマギシ会のように見られることだろう。
では、石井十次のやったことは、今に通用しないのであろうか。私はそうは思わない。たしかに今同じことを行えば、異常な集団となるだろう。それというのも、社会福祉という考えが、石井十次などの苦労もあって、社会常識として理解されてきたからである。そうした時代にあっては、子どもたちをかくまって共同体を営む姿は、洗脳的な奇妙な集団にしか見えないであろう。
ならば、今の時代にあって、誰もしていないような事業がまた、あるかもしれない。それが、石井十次の遺志を継ぐことになるやもしれない。時代の常識に囚われず、自分で示されたことを全うしようとする意気があるならば。
最後に、この石井十次の生き方に感動を覚えつつも、見過ごされがちな点――いや、たぶん女性の皆さんは、見過ごすどころかこの点にこだわっているかもしれない――に触れておこう。それは、十次の妻の品子さんの姿である。
堪えに堪えた妻。医者にならんとする夫を支えつつ、ついに医者となることをやめた夫、そして孤児を次々と家に連れてくる、それが数人というに留まらず、物凄い数になっていく……その中で、「ついていく」と言った言葉を盾に、品子さんはどんな辛いことにも堪えていく。
そして、品子さんはずいぶん若くして亡くなる。そしてその年に、十次は別の女性と再婚している。
品子さんの目からこの本の中身のことを考えたとき、私はたまらなく切なくなるのだが、どんなものだろうか。
それは、こんな偉いことはまるでしていないにもかかわらず、品子さんを作っている自分のことが痛切に覚えられるせいかもしれない。