本

『いしぶみ』

ホンとの本

『いしぶみ』
編・広島テレビ放送
ポプラ社
\630
1983.8

 図書館には比較的最近、その第15刷が入ってきた。私も、今回初めて触れた本である。
 いしぶみとは、「碑」と書き、元の意味は「石文」である。石碑のことである。
 副題が「広島二中一年生全滅の記録」とある。
 戦争記事については、しばしば感情をこめた記述で、その悲惨さを訴えようとするものがある。実に正当なことで、読者の心もそれに揺り動かされる。
 だが不思議なもので、何ら感情をこめないで記されているような記録を見るだけで、怒りや悲しみなどの感情が沸々と湧いてくる、そんな資料もある。戦争記念館などを訪ねたときに、しばしばそういう気持ちになる。
 この本も、それに近い。
 広島二中の一年生が、爆心地近くにいた。作業に招集されたのである。そこへ、原子爆弾が炸裂。姿変わりながらもまだ息のあった子どもたちは、「必死」の思いで親元に戻ろうとする。わずかな生徒が、親に再びまみえた。そして翌日にはその多くが絶命していく。ついに、戦争終結発表を聞く前に、最後の中学生が息絶えた。
 323人と教師4人の中には、ついに遺体の見つからなかった人も少なくないという。その場合、親などは、遺体を探して歩き回っている。それもまた、一つの記録である。この本には、そのような一人一人の名前を挙げて、その最期を綴り続けるばかりの記録が並んでいる。各頁には、入手できるかぎり、その子の顔写真が掲げられている。
 もうやめてくれ、と言いたくなるほど、実に淡々とそれが続く。だからまた、強く訴える力をもっているように見えてならない。
 それとも、こうした記録からは、戦争の惨さだとか悲惨さだとかが、まるで心に浮かんでこないほどにまで、人々の読解力は劣悪な状況になっているのだろうか。戦争は美しいものなどではない。戦死がロマンチックになど思われる言い方はやめたいし、やめてほしい。それはただぐちゃぐちゃでおぞましい限りの風景に過ぎない。
 中学生たちの最後はしばしば、「お母ちゃん」との叫びで表現されている。同時に、「天皇陛下バンザイ」と叫んだり、海ゆかばを歌ったりして死んでいった有様が記録されている。そんなにまで、人々の頭の中は塗り替えられていったことが分かる。とくに、幼い子どもたちはなおさらである。大人の中には、疑いの心があったとしても、子どもたちは、純粋に大東亜帝国の奇跡を信じていたケースが多かったのかもしれない。
 この本は、小学生に読めるように作られている。もちろん、大人も読める。機会があれば触れて戴きたい。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります